紀行、小説のノベログです 日々感じていることを盛り込み綴っています

「自転車と列車の旅の追憶」 紀行 完
「大海原」 紀行 完
「家族」 小説 完
“Soul bar-IORI” 短編小説 完

コラム 「大志」

 昨夜、みなさんのブログを拝見させてもらった中に、素敵な言葉が載せられていたいたブログがあり、改めて感動をしていました。


「青年よ大志を抱け」


 明治初期に、札幌農学校を開校し、キリスト布教にも努めたクラーク氏の言葉です。上記の言葉はあまりにも有名でご存知の方も多いでしょうが、そのブログには


「この老いた私のように」


と言葉が続き全文が載せられていました。


 クラーク氏は、


「金欲や名声を得ることだけに野心を抱くのではなく、人の本分を成す大志を抱け」


と説き、上記の言葉の「大志」にもこの意味合いが含まれているものだと感じます。


 より多くの人に、この言葉の持つ意味を知って頂きたいと思うと共に、奇しくも、私が言葉足らずの拙い文章で書いている物語の本意は、実はここに通ずるものです。欲にまみれ歯車が狂ったままの日本ではなく、是正された本当の意味での豊かな日本を、後世に伝えられたらと願い書いているものです。


 この言葉を思いださせてくれたブログに感謝、感謝です。

「家族」 夫婦 2


 敏也は渡辺夫妻に夫婦の理想の形をイメージする。婚姻後、20年近くの歳月が流れるがお互いを認め合い、人目を気にすることなく仲睦まじい夫婦である。


 家族への愛も何時しか薄れ、お互いに関心もなくなるのが多くの日本人であると思う。そしてまた敏也にも夫婦の危機が迫っている。


 年老いたとしても二人の愛、信頼関係は薄まることはないであろう。そんな思いを敏也はファインダーを覗き写し込んでいく。


 撮影後には英子の作ったおせちと、渡辺の持参した酒で毎年新年会が行われ4人の楽しみになっている。この席にもちろん綾香も同席し、


「昨年3月に英子さんに子供ができましてね」


と、敏也が冗談を交え紹介すると、綾香も英子も満更でもない微笑を浮かべている。そして敏也は


「写真は期待してくださいよ、愛し合うお二人をいい感じに撮れたんじゃないかって、自分で思ってます。でも羨ましいですよね、うちは、とうとうだめかな」


と自信に満ちた笑顔から、苦味笑いに表情を変えた。すると晃が、


「そうか、、、夫婦のことは当人同士の問題で、他人がとやかく言うことでもないけどさ、なんか日本人ってのは下手だよな、格好つけてんのかわかんないけど。よくアメリカ人のこととか個人主義って言うけど、俺に言わせたら日本人のがよっぽど個人主義だよ。向こうは家族が第一で、いつも家族と一緒さ」


と話し、敏也には心痛いものがあった。さらに晃は、


「うちは子供いないけど、向こうは子供が出来て、そこそこの年齢に達すると個人の部屋を与えるんだけど、部屋ってのも寝るだけの部屋さ。寝るまではリビングで家族みんな一緒。日本じゃどうだい、子供に部屋与えれば部屋にこもりっぱなしで、生活はみんなバラバラで何日も顔見てないなんて家族、多いんじゃないのかな、同じ家にいたって。子供に責任はないさ、親が無関心だから子供がそうなってしまうんだよ。夫婦もバラバラ、子供もバラバラ。まぁ、もちろんすべての日本家庭がってことじゃないけどね」


 英子も敏也も、そして綾香も晃の話にじっと耳を傾けている。綾香にも感じることが多いのであろう。


「俺は啓子とずっと一緒だ。じじい、ばばあになっても手繋いで歩きたいね」


晃は話を閉め、啓子の手にそっと自分の手を重ねた。


 そして晃から綾香にお年玉が手渡された。


 綾香はこのお年玉をいつなんどきもポケットに入れ、ポチ袋はもう擦り切れて今にも穴が開きそうな状態だ。見かねた英子が端切れで巾着を作り、首からぶらさげお守りのように大切に持ち歩いている。
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「家族」 夫婦 1

 
 新年が明けるとギャラリーでは、元旦から家族写真の撮影に予約の客が訪れる。写真館で撮影は行われるのだが、ギャラリーではカメラマンに敏也を指名する客を招き、趣の変わった撮影が行われる。


 ここ数年来、毎年3日の最終日に予約を入れる客がいる。映画俳優の渡辺晃と啓子夫妻だ。敏也が渡辺の主演映画の音楽を担当したことから付き合いが始まり、啓子の写真集も手掛けている。 


 映画は賞こそ逃したがかなりの興行収入を得て、インタビューに答えた渡辺は、


「この映画の成功は音楽にある」


と語っている。敏也は映画の主題曲はもちろん、挿入曲、効果音に至るまですべてメロディを書き、既存の曲は一切使うことをしなかった。映画の好調さもありサントラ盤の発売も企画されたが、敏也は認めることをしなかった。


「映像があってこその音を作ったつもりだ」


と、理由を語っている。


 また女優啓子の写真集においては、人物を普段撮ることのない敏也が、自然の中に調和する人物をテーマに創り上げた。こちらもかなりの販売部数を記録している。その後、他の女優をモデルにと何件かのオファーも来たが、


「私はこの作品に、今の持てる力のすべてを注いだ。人物を撮った作品でこれ以上の作品を残せるとは思えない」


と、すべてを断っていた。


 敏也は写真家として活動をする以前は、音楽家として活動をしていた。学生時代からクラブ回りを始め、日本を代表するペット奏者に見出され多くのレーコーディングに参加した経歴を持つ。今は主だった活動をしていないが、引退はしていない。


 「あけましておめでとう」


 一際大きな声がギャラリー入り口に響き渡り、手に一升瓶を抱えた渡辺夫妻がやってきた。この渡辺も自分の仕事に信念を持ち、バラエティ番組などの出演は何度かあるものの、テレビドラマで演じることはなく、テレビと映画の世界に線を引いている。活躍する場は違うが、二人の男には通ずるものがあるのであろう。
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