紀行、小説のノベログです 日々感じていることを盛り込み綴っています

「自転車と列車の旅の追憶」 紀行 完
「大海原」 紀行 完
「家族」 小説 完
“Soul bar-IORI” 短編小説 完

「家族」 敏也 3

 
 その後、敏也と大介には大きな転機が訪れ、日本を代表するペット奏者山岸のツアーに参加しないかとオファーが入った。断る理由があるとすれば、今の安定したギャラがツアー終了後になくなることぐらいだ。20代前半の若者に、守りは必要ないであろう。バンドを抜け、およそ2ヶ月間山岸に雇われることとなる。


 ツアーは成功し幕を閉じ、敏也と大介の名は日本全国のジャズファンに知られていく。多くのミュージシャンのレコーディグ、ツアーにも参加し、音楽関係者からも絶大な評価を受けることとなったのだ。


 活躍の場を広げ多忙の中、マネージメントを担当する英子の元に敏也宛にオファーが入った。世界のジャズ界を牽引するペット奏者ウィルトンがツアーで来日したが、ベース奏者が急病でアメリカに戻ったため、代役でベースを弾かないかとの話だ。どうも山岸の根回しがあったようだ。敏也の予定には代役が据えられ、ツアーに参加することが決まった。


 リハーサル中から、敏也は覚えたてのカメラを手放すことがなく、ウィルトンを中心に多くの写真を残していた。


 敏也のベースを大いに気に入ったウィルトンは、スタジオ盤の製作にも敏也を招き、Bass Toshiya Shiroyama とクレジットされたCDが世界発売されたのだ。そしてレコーディング中も、敏也はウィルトンを撮り続けていた。


 ウィルトンはその2ヵ月後、交通事故で命を落とし、


「世界のウィルトンが認めた最初で最後の日本人ベーシスト」


として敏也は日本ジャズ界に伝説を作った。


 敏也が取り溜めたウィルトンの写真は、死後、家族に送られたが、家族の意向で、撮影者である敏也の許可を得、写真集として世界発売され、売り上げの全てが交通事故遺児のために寄付された。写真家、城山敏也のデビュー作である。


 そして、これからコンビを復活し、共に世界を目指そうとしていた大介は、妻と幼い娘を残し、自ら命を絶ってしっまった。遺書もなく理由はわからないが、敏也もまた、そっとベースを置いた。
                                      28

「家族」 敏也 2


 ピアニストとドラマーを雇い、「高井義男4」として東京でのライブがスタートした。店の形態もあり、聞いてる客はほぼいない。疎らな拍手でステージを終えるとドラマーの佐藤大介が寄ってきた。


「ナイスベース!いい感じだな。今日はおとなしく叩いて君のプレイじっくり聞いてたんだけどさ、うん、いい感じ。唄ってるベースいないんだよな」


と、人懐こい笑顔で話している。そして、


「客のことはあまり気にするなよ。客は俺たちが目当てでここに来てるわけじゃない。美味しい酒と料理があってここにやって来る。そこで、たまたまジャズライブを演ってるだけさ。ただ、手を抜けば明日から仕事はないよ」


  大介と初めてプレーし、初めての会話であった。


 ステージを重ねるごとに大介とのコンビネーションは完成度を増していき、うねるような独自のグルーヴを生み出す。決して都会的に洗練された音ではなく、アメリカ南部を思い起こさせる泥臭い音だ。


 「何時の日か、世界を目指そう」


 二人は音楽だけに留まらず、互いを認め合い、切磋琢磨できる関係を築き上げていった。


 敏也がステージの合間に、バーカウンターに腰を降ろしビールを煽っていると、一人の客に声をかけられた。ここ数日の間に数回足を運んでくれているようで、ステージ最前列の席に女性4人のグループで来店していた。


「素晴らしい演奏ですね」


 他愛も無い会話から、回を重ねるごとに自身について話すことも増え、


「私、専攻は写真なんですけど、音響も勉強しているんです。音と光ですね。もしお邪魔でなければ、サウンド・チェックとかって見学させてもらうこと出来ないでしょうか」


 幸い店の音響担当をしているアルバイトが、同じ学校に通う一級上の先輩でもあり実現することとなった。彼女にとって無論初めてのプロの現場であった。


 その後、彼女はバンドの写真を撮り、ポスター、チラシの製作から、バンドをサポートをするようになっていく。そして、憧れから自分をより理解してくれる異性として、敏也に引き込まれていったのだ。ただ、あくまでもビジネスの関係を重視した敏也は、決して男と女の関係に発展させることはなかった。


 遠い昔の話だが、今もそれは変わることはない。


                                 27

「家族」 敏也 1


 敏也は京都の大学に進み、この頃からクラブ回りを始め、プロのミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせた。中学からギターを始めていたが、ジャズクラブや他のプレーヤーから圧倒的に重宝されるベースをプレイしている。


 ギターから転向したこともあり、ベーッシックなラインを取るだけではなく、メロディアスなラインを好み、京都市内や地元名古屋のミュージシャンからは一目置かれる存在だ。もちろん敏也のベーススタイルを嫌うミュージシャンも多い。


 京都を中心に活動するテナーサックス奏者に、東京のクラブ出演の打診が来ている。敏也のベースを気に入り、よく仕事をくれる男だ。


 誘いを受け、敏也は嬉しく思ったが、これ以上、学業を疎かにすれば卒業はまず無理だ。ただ、自分が目指すものは卒業することで得られることでもなく、近道になることもない。


 数日後、東京に出て二人はクラブにオーナーを訪ねた。店はアーチストを招いたり、興行の会場を提供するライブ・ハウスではなく、出演者が店と契約してショー的なライブを行っている。


「ベースは決まってるんだな、了解。必要ならメンバー世話するから言ってよ。あぶれたやつ、いくらでもいるから。出来るやつばっかりだから、スタンダード演るならリハもいらん」


 元々が市場の狭いジャンルであり、演奏者の競争も激しいようだ。


「ロックスターは一晩で10万ドルの金を手にするが、ジャズの帝王マイルスは500ドルで演奏する」


 敏也は以前に読んだ本の一行を思い出していた。


                                                      26