紀行、小説のノベログです 日々感じていることを盛り込み綴っています

「自転車と列車の旅の追憶」 紀行 完
「大海原」 紀行 完
「家族」 小説 完
“Soul bar-IORI” 短編小説 完

「家族」 異変 2

 
 綾香は手始めに、雑誌の連載で秘境駅を訪ねる撮影を行っていた。山間に進むローカル線の旅は美しい景観が広がり、綾香も楽しんで撮影に挑んでいた。


 初回から数回は写真の出来も素晴らしく、好評を得ていたのだが、回数を重ねるごとにクオリティは下がり、写真から伝わるものが消え失せている。英子は心配をし、多くの会話を持つが、綾香は以前とは打って変わり謙虚な姿勢を見せることはない。


「いったい何があったのであろう」


 推測は多くの誤解を生じさせる。今、ある事実のみで対処する他はない。綾香に対してのケアは後手になってしまうが、クライアントからの信用を失う前に決断をしなくてはならない。担当を代える段取りを進める中、綾香は忽然と姿を消してしまった。


 いかなることであろうと、仕事より人を優先させる敏也であればどうしたであろうか、英子は自分の取った行動を責めていた。


「英子さんに落ち度はないさ、適切な対応してくれたと思ってるよ。全ての従業員とその家族の生活を守らなければいけないんだよ。クライアントを失うリスクは大きいよ、ありがとう」


 撮影には佐々木が自ら名乗り出て事なきを得たが、その後も綾香が姿を現すことはなかった。


 数日後、出版社から連絡が入った。


「先ほど平井さんが来社されまして、ご連絡させて頂きました」


「それで、あの、綾香は、いや平井は元気にしておりましたでしょうか?」


「少し疲れた様子ではあったのですが、、、」


 綾香は原稿のポジフィルムを手渡し、担当者に、


「城山の事務所を辞めましたので、この件からのギャラは直接私に支払いをして欲しのですが」


「すでに残りの原稿は頂きましたよ。私どもはオフィス城山様に撮影を依頼しており、カメラマン個人と契約することはありませんよ」


と、敏也、英子との信頼関係があって仕事を依頼し、また、その結果にも満足をしているとも言う。


 出版社からの連絡で生存の確認はでき、最悪の事態は間逃れたようだが、綾香からの連絡を待つ他はないであろう。


 報告を受けた敏也は、綾香に良かれと思い写真家としての道を開拓したが、それで良かったのか。いや、招いた結果が正しくなかったことを証明している。綾香が何を望んでいたのか理解出来なかった自分を、敏也も英子同様に責めていた。
                                 
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「家族」 異変 1


 綾香、知明子、敏也が伊豆に移り住み、そして雪子が東京から来ておよそ3年が過ぎ去った。


 知明子はちゃりんこカフェの店長として、また、敏也の撮影を影からサポートし充実した日々を送っている。


 雪子は料理の研究を怠ることなく、本格的なイタリア料理にも挑んでいる。


「マスター、私はパスタだけではなく、いろいろなイタリア料理をカフェで提供しないな。本格的なイタリアンを勉強してて、もっといろいろなことにチャレンジしたいんですよ」


 以前、雪子は敏也に自分の気持ちを伝えたことがある。そのとき敏也からは、


「そうか、料理が楽しくなったみたいだね。ただな雪、店にはその店の提供するべき料理があると思うんだ。ちゃりんこカフェは、あくまでも気楽にサイクリストや、近所の人達に立ち寄ってもらえる店であって欲しい。リストランテでもトラットリアでもなく、パスタ屋さんであるべきだと思うな、俺は。ただ、本格的なイタリア料理の勉強は続けろよ」


 雪子の希望は受け入れられなかったが、自身の為、本格的なイタリア料理の研究を怠ることはなかった。


 そして、綾香と敏也の撮影もほぼ最終を向かえてるようだ。英子は敏也の指示で、出版社と折衝をしている。敏也の写真集を手がけたい出版社は多く、さほど難しい売り込みでもないであろう。


「城山の写真集の発売と同時に、弟子の平井綾香をデビューさせたいのです。雑誌の連載ではなく写真集です。いかがでしょうか?」


 新人の写真家が、いきなり写真集を発売することなどまず前例はない。写真集が存在するとすれば自費出版であろう。最初、出版社は難色を示したが、他社に敏也の引退作が流れてしまうことは避けたいようだ。そして、世界の城山の引退作と弟子のデビュー作での話題性も、英子は強くアピールしていた。


 そして、主だった都市で写真展を開き、書店での発売前に各会場での先行販売を行う企画が併せて決められた。


 初版の印刷が終わり、いよいよ写真展の開始だ。札幌、仙台、東京、名古屋、大阪、博多の順に進み、写真集に収められなかった写真も多く展示され、進行に併せ集客も増えて行く。


 そして綾香には、写真家としてだけではなく、小柄で愛らしい容姿が話題となり、写真集を買いサインをもらう列に多くの男性ファンが並んでいる。


 敏也の写真集が売れればと目論んでいた出版社も、予想を超える売れ行きで思わぬ誤算だ。こうして綾香の名前と顔は全国に知れ渡って行った。そして、英子の元に戻り、主に敏也の後を引き継ぎ、風景写真を中心に撮影して行くことであろう。


 敏也はカフェをのんびりと営みたいと思っていたが、写真集の発売後はより多くの客が押し寄せ、希望通りにはいかないようだ。そしてカフェ内では、綾香と敏也の撮影した写真をポストカードにプリントして販売をしている。


 ポストカードの売り上げは自治体と協力し、伊豆半島サイクリングの休憩ポイントとなる場所へ駐輪ラックの設置などに使われる予定だ。


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「家族」 雪子 3

 
 しばらくして車のライトがカフェを照らした。綾香と敏也が戻り、二人で外に出迎えると、


「あ、ゆきねーだ」


と綾香が車の窓を開け手を振り、車から飛び出すといきなり雪子に飛びついている。そして敏也は、


「や、雪ちゃん、いらっしゃい」


とだけ言葉を掛け、車の荷物を降ろし始めた。4人で中に入れ込むといきなり知明子が


「ちょっと、先生も綾香も臭いから、早くお風呂入ってきて」


と即し、敏也は綾香に背中を向け、


「よしっ!、チビばい菌、ここに乗れ」


と、綾香は背中に飛び乗り背負われた状態で、


「ボスばい菌、お風呂場に直行せよ」


とお風呂場を指差し一目散に2階へと走り抜けて行った。二人の姿にようやく雪子から笑顔が見えたのだ。撮影から戻ると、二人は異常にテンションが上がる。


 雪子は荷物を片付ける知明子を手伝うと、それが撮影機材だとすぐに気が付いた。


「マスターの本職はカメラマンで、綾香はお弟子さんなの」


 一冊の写真集を手にしてこれはマスターの作品よと雪子に手渡した。表紙に書かれた名前を見て、雪子は7年程前の騒ぎを思い出していた。


 敏也が撮影した写真が大きな賞にノミネートされたのだが、写真が受賞する部門はなく特別賞だ。辞退を申し入れたにも関わらず受賞が決まり、敏也は表彰式に参加せず大きな波紋を生んでしまった。賛否両論あったが敏也はずっと沈黙を守り、以後この写真も封印してしまったことがある。これもまた遠い昔の話で、今は誰も敏也にその件を触れることはしない。


 雪子は、とんでもない場違いのところに押しかけてしまったのだと知明子に話すと、


「とんでもないよ、そんなこと。先生はね、地位や知名度で人を見ることはないし、今ここに雪ちゃんがいることは、これは縁があってのことなの。自然に導かれたことなのよ」


 風呂から上がった敏也に、雪子が話をしようと姿勢を正し向き合うと


「うち給料安いよ」


と全てを察し敏也から口を開いた。雪子は、


「お金ではありません。私はずっと自分の居場所を探して彷徨っていたんだと思います。ここに初めてお邪魔したときに、すごく居心地がよくって、飾らずに自然でいられる自分がいて、何かすごく不思議な感じがして、もしかしたら、ここはって思っていたことが、先日お邪魔したときに、私がいるべき場所だって、確信したんです」


と話し、敏也は黙ってうなずいていると、綾香が、


「もう堅苦しい話はやめてご飯にしようよ、お腹すいたよ」


と雪子への綾香なりの配慮だ。そしてテーブルに付くと真新しい雪子の箸とお茶碗が用意されていた。荷物の届いた日に知明子が買い揃えていた。雪子は箸を手に取り、涙を流しながらじっと見つめている。こうして雪子にとっても新たな旅立ちをし、この伊豆の地でひとつ屋根の下で暮らす関係となった。


 そしてカフェは、雪子を加えたことで平日も営業をし、平日に訪れるサイクリストはもちろん、地元の主婦にも受け入れられて多くの客で賑わっていった。
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