紀行、小説のノベログです 日々感じていることを盛り込み綴っています

「自転車と列車の旅の追憶」 紀行 完
「大海原」 紀行 完
「家族」 小説 完
“Soul bar-IORI” 短編小説 完

Second piatto 道の駅


 橋を渡ると県を越える。海道の中でこの島がもっとも観光地化が進んだ島であるかもしれない。その最もは道の駅であろう。橋から一般道に出るとその姿を現し、多くの飲食店が軒を連ね、岸壁は綺麗に整備され、旅行く人達の憩いの場となっている。


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 道の駅は一般道に於いて24時間利用できる公共の施設であり、民間経営である飲食、売店を併設したドライブ・インに比べ遥かに利便性が高い。
 日本の道路は、こと車の走行に適した整備だけが施され、ドライバーを思いやる優しさなど感じるものではないが、道の駅は地域振興も兼ね備え、大きく評価されるべきものだと感じる。


 またこの施設には、サイクリストの聖地なる石碑が立っている。意味することはなんとなく理解出切るが、あまりにも聖地が多すぎやしないかと思うのだ。


「自転車乗り教の発祥の地」


もしくは中心地の意味だ。


 日本人は宗教に重きを置かない。幼少の頃は七五三を神社で祝い、盆には先祖を供養しに寺に行き、キリストの誕生日前夜は意味すら考えずに祝っている。


 私も無信仰であり、神も仏も信じてはいないが、宗教を重んじる国にもう少し配慮した名前を付けても良いのではないだろうか。聖地はあちこちにあるものでは決してないのだ。
 以前は同じような意味合いで使われいたメッカを、ほとんど見かけなくなったことは喜ばしいことだが、あまりにも聖地が使われすぎている感がしてしまうのは私だけであろうか。と言いつつも自転車を立てかけ写真に収めてしまった私だ。


 言葉は多く進化して行くものである。いい加減とか適当など、本来は良い意味で使われていた言葉だが、今はま逆に使われてしまう。
 また最近は、飲食店などで料理が提供される際に、


「~~になります」


とよく耳にするが、成りますと言う言葉は、


「私は警察官に成ります」


などが本来の使われ方であり、飲食店に於いてなりますを使って良いのは、お好み焼き屋さんぐらいであろう。焼きあがったお好み焼きを提供する店では、もちろん不適切。

Second piatto 目的を達成するには


 コーヒーを終えて出発すると、ブルーラインは島の中心地に入り、多くの観光客が集まっている。箱物の観光施設には、さほど興味もなく全てをスルーし通り抜けた。


 中心地を外れ、視界に海が現れ綺麗な景観が広がる。すると何かあったのであろうか、魅惑のおしりが歩道上で立ち尽くしているのだ。きっと、私を待っていたのであろう。ほんと馬鹿。


 何かトラブルであろうか。近づき声をかけると、パンクである。
 困っている相手が女性であれば手を貸し、男性の健常者であれば、自分の力でなんとかしなさいと、放置することが男の優しさだと思う。この場合、手を差し伸べる場面である。


 彼女は20代前半と思われ、駅前から船で渡った島の在住で、三つ先の島までの往復サイクリングを貸し自転車で挑戦し、今回が二回目の挑戦で、先回はこの次の島で、時間的な理由で折り返し、時間を早め出発をしたと話す。


 私は自転車を始めてからパンクの経験がなく、修理セットは不要と判断し持ち合わせておらず、どう手助けをしてよいものなのか模索していたが見つからない。
 彼女は何度も貸し自転車屋に連絡を入れているが、先方が電話に出ないとこぼしている。なんとか連絡をし、最悪は、家族に迎えに来てもらい帰ると言う。


 私も手助けの方法がなく、勇気付けだけでこの場を離れたのだが、しばらく走りふと小物入れが気になり、自転車を停め確認をすると、予備のチューブがやはり入っている。慌てて彼女の元に戻ったのだ。


 彼女はその後も出ない相手にコールを繰り返すのみで、他に手立てがない様子だ。
 先ず、自転車を走れる状態に戻し目的地到達を目指すのか、諦めて家族に迎えに来てもらうか確認を取ると、


「今度こそ行きたいって思ったんですけどね、、、」


なら目的達成の為の思索を考えましょうと伝え、パンクは乗り手の責任であり、貸し自転車店に連絡を入れたところで目的は達成できない。修理後返却してくださいと言われるか、そのままの返却でも良いが修理代金を請求されるだけであろう。修理の出来る場所に自転車を持ち込むか、空気を入れることが出来る場所に行き予備のチューブと交換するしか、目的を達成するには方法がないことを諭した。


 先ず自転車修理をあたり、その場合の支払いも彼女に用意があることを確認し、もし修理が出来る場所が見つからない場合、予備のチューブを無償提供するのでコンビニまで戻り交換し空気を入れましょうと行動に移した。このとき彼女の顔から初めて笑顔が見られた。出ない相手に何度も電話をしイライラを募らせるより、前を向き行動することが心を落ち着かせるのだ。


 二人で自転車を押し、歩きながらスマホで自転車店を探すと、ここから1km程戻った商店街に自転車店があり光が見えた。
 修理を完了させ別れることにし、貴重な時間を取らせてしまったと何度も詫びるが、実際には私は何もしていないのだ。困ったときはお互い様で、困った人を見かけたら、自分の出来る範囲で助けてあげればそれでよいことだと伝えた。
 私にとっても旅の良い思い出である。


 この海道は多くのサイクリストが訪れる。豊富な知識と技術を持ち合わせたスペシャリストも、貸し自転車でサイクリングを楽しむ初心者もいる。
 貸し自転車を利用する方には、ある程度のパンクの回避の方法や、仮に起きてしまったときの対処の方法を伝え貸すべきではないだろうか。
 そして彼女が借り受けた自転車はクロスバイクであるり、それなりにスピードも出せるスポーツ車だ。的確なポジションの設定をすることも大切で、彼女の場合、明らかにサドルのポジションが合わず、おしりがこっけいな動きを見せていた。
 本来自転車が持つ力を発揮できないし、身体に痛みが出る恐れもある。快適なサイクリングを無事に終えてもらうためにも注意するべき点をしっかりと伝え、適切なポジションに合わせて貸し出しをして欲しいと思う。
 自転車を楽しいと思ってもらうことが最優先で、トラブルが起きれば嫌になってしまうものだ。


Second piatto 魅惑のおしり


 朝食を済ませ宿を後にし、自転車乗りの聖地と呼ばれる海道を目指す。いくつもの島を経由し、民官一体となってサイクリストを受け入れる、日本では数少ない場所のひとつだ。一気に走破するもよし、のんびりと島をめぐり何泊もかけて行く事も楽しいであろう。


 昨夜も訪れた起点駅には、ホームに自転車が飾られ、気分を高揚させてくれる。駅に隣接して自転車の組み立て場が完備され、サイクリングに不要な荷物が預けられるコインロッカーが用意されている。土曜日ともあって多くのサイクリストに混じって自転車の組み立てだ。


 駅近くのコンビニに立ち寄ると、スポーツ車用の駐輪ラックの設置があり、まず驚かされる。ボトルに水を入れさっそくスタートで、気合を入れて走るも100mほどの距離であった。


 一つ目の島に渡るには橋ではなく渡船で、その前にはサイクルオアシスと言う案内所も設けられ、地図に空気入れ、洗浄剤、チェーンオイルなども用意され細やかなサービスを無料で行っている。ここで空気の充填をし地図を頂き乗船だ。


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 船は島民の普段の交通手段であり、地元の方が半数ほどで自転車の方も徒歩の方もいる。後は観光客らしく家族連れのサイクリング、貸し自転車のグループ、全身レーススタイルのサイクリスト達だ。今回の乗船にはなかったが車も乗せられるようだ。ほんの数分の船旅である。

 渡船場の入り組んだ路地を抜けるとブルーラインが始まる。地元の子供も年配者も左側通行を守り、日本の各地で見られるような歩道上で歩行者と自転車が混在する姿は見られず、車両としての自転車の存在を明確にしている。
 自転車が中途半端な存在であり続ける限り、乗り手の責任感も薄れる。存在を明確にすることで責任も生まれてくるのだ。

 ブルーラインはしばらく市街地を走り、海沿いに出る。天候にも恵まれどこまでも青く海と空が続き素晴らしい景観を生み出している。この景色を眺めながら大好きな自転車で走れることがどれだけ幸せなことか。多くの方にも体感して欲しい。
 普段自転車の活用をしていなくても、自家用車を降りて、レンタルで自転車を選びこの海道を走る人が多いのもとても素晴らしいことだ。


 島のほぼ最終地点に休憩所があり、風景を楽しもうと立ち寄ってみた。ベンチには初老の男性が腰をかけ海を眺めている。この島で生まれ育ち、県外での生活を経て定年後に島に戻ったと言う。


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 人らしく生きるとはどんなことで何が望ましいか、人それだろうが、この男性との会話はとても落ち着き心温まるものであった。


 橋を渡ると、戦国の世に操舵術を屈指し暴れまわった村上水軍ゆかりの島である。水軍の詳しい記述は避けるが、多くの文献があり、海に生きるとはどう言うことか知ることが出来る。旅をし新たに得た知識を後日深く掘り下げてみるのも楽しいことかも知れない。


 島のブルーラインの多くは、海沿いから外れのどかな丘陵地帯を走り、様々な景観を楽しみながら走ることが出来る。


 この島で不慣れと思われる自転車で、ぎこちなく車道と歩道を交互に走る一人旅の方を前方に確認した。距離を取り、歩道に入ったところで追い越しを掛けようとするも、また車道に出てきて追越が出来ない。圧迫感を与えないように少し離れ、ゆっくりと楽しむことにした。


 周りの景色を楽しむのはもちろんだが、その女性の左右上下にこっけいに動く後ろ姿もこれまた楽しく美しい風景である。
 おしりを眺め走行するも上り坂に差し掛かり、距離が縮まりペースを合わせる事が困難で、追い越しますと声を掛け一気に抜き去ったのだ。動きに魅了された楽しい時間は数分のことであった。


 新たな橋を渡りブルーラインは海沿いを走る。大小様々な形をした島がいくつも浮かび、美しい景観を作り出す。きっと鳥達は、もっと美しい景観を見ながら空を飛んでいるのであろう。


 コンビニを見つけコーヒータイムだ。駐輪ラックはもちろん、休憩用のベンチも用意され、英式、仏式ともに空気入れも置かれている。
 ベンチに腰掛けコーヒーを楽しんでいると、こっけいな動きを見せるおしりが通り過ぎて行った。きっとサドル位置が高く、余計な動きが出てしまっているのであろう。身体を痛めることなく、無事にサイクリングを終えることを祈るばかりだ。