紀行、小説のノベログです 日々感じていることを盛り込み綴っています

「自転車と列車の旅の追憶」 紀行 完
「大海原」 紀行 完
「家族」 小説 完
“Soul bar-IORI” 短編小説 完

Second piatto 怪しい人物


 きっと私に恋をした、彼女と別れを告げ、次なる目的地に自転車を走らせた。


 市街地から進路を東に向け走り、その後、南に進路をとり海岸に出る予定だ。海岸に出ると見事な景観が姿を現す。大小の島が浮かび、まるで海面が光を放つがごとく輝き、爽やかな潮風が吹いている。しばらく自転車を停め景色を楽しむのだ。


 この海道も多くの自転車乗りが訪れるコースであるが、幹線道路でありかなりの交通量である。自転車の走行帯も区分されておらず、確実なライン取りが要求される。景色は素晴らしいがサイクリングに適した道路ではないようだ。


 さらに東に進路を取り、戦艦大和の街に入るもコンビニ休憩だけで全てをスルーした。殺戮のために作られた道具に興味はない。


 トンネルに入ると、自転車の走行帯は歩行者と共有であり、片側の相互通行で、自転車乗りのマナーが要求される。自転車が歩行者を守ってこそ、車道で車から守られる存在になって行くのだ。


 長いトンネルを抜けしばらく走ると、また綺麗な海が視界に飛び込んで来る。


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 先には大きな橋が掛かり、たぶん私に恋をした、彼女お勧めのサイクリングコースの起点となる橋である。
 橋を渡り、島をぐるっと一周したのだが、かなり大きな島で多くの時間を要してしまった。この海道はまた次回の楽しみに取っておくことにしよう。


 再び幹線道路に戻り東に進路を取るも、かなり時間が押し詰まっており、輪行しない限り宿を探し当てることは不可能である。駅に辿り着いた時間は19時を回っており、公園で出会った、彼女の言葉が脳裏をかすめた。


「それはかなり無謀だと思いますよ」


 私が目指し場所は優に倍の距離を越えてしまうのだ。やはりあなたは正しく知的で、私は単に馬鹿。


 駅で自転車をばらしていると、珍しい光景なのか一人の中年女性に声を掛けられた。こんどこそ逆ナンされるのか、私。
 話をしているうちに人が集まりだし、気が付けば10人ほどに囲まれている状態だ。自転車を持ち上げて軽いと驚くおじさんや、三重から来たと話すも、三重がどこにあるのか知らないおばちゃんなどいろいろである。
 この方たちは自警団を組み、夜の見回りをするのだと言う。ただ、怪しい人物として多くの質問をされたに過ぎなかった私だ。
 ミーティングが始まり、代表者から見回る順路が言い渡され、悪を滅ぼし住民の平和を守るため、夜の街に姿を消して行った。
 私は滅ぼされずに済んで助かった。


 目指す海道の起点駅に着き、宿探しなのだが一軒一軒空きを探すよりも、時間の関係もあり宿の一覧を手に電話して聞くことにした。あいにく何処も空きがなく、さらに先の街を目指し列車に乗り込んだのだ。


 最初からサウナに絞って情報を得ようと聞き込みだ。自転車を押して歩く若者にカプセルがあると教えていただき、向かって部屋を確保した。
 駐輪スペースにかなりの不安があり、フロントに尋ねると、


「そのままでよいのでこちらに置いて下さい」


とフロント横のスペースをくれたのだ。屋内の24時間監視付きの一番安心できる場所である。対応してくれたちょっと太めなお姉さんに感謝、感謝である。


 時間も21時を過ぎ、裕著にお風呂を楽しんでるわけにはいかず、食事だ。館内の食堂でもいいのだが、明日はこの地を離れるつもりなので、どうしてもお好み焼きが食べたかったのだ。
 心優しいちょっと太めのお姉さまに店を訪ねると、手招きされ、カーテンを開け外を見ながら説明をしてくれたのだ。
 指を差しながら、あそこをと身を乗り出した瞬間、突起した柔らかな感触が私のひじを直撃。そしてさらに身を乗り出しもう密着状態で、幸せな気分に浸りまともに説明が聞こえなかった。
 駅で滅ぼされなかったことを改めて感謝するとともに、ちょっと太めのお姉様には、大感謝である。そして満室であったホテルにも感謝である。心憎い粋なサービスであった。


 教えてくれた店はお好み焼きの専門店ではなく、メニューにあると言うものであるが他に当てもなく行くことにした。鉄板焼きでメインはステーキのようだ。味は残念ながら???マークがたくさん付いてしまったが、旅にはこんなこともあり得るのだ。美味しいとは決して思えないお好み焼きも、ひじに残る感触が私を幸せにしてくれて、どうでもいいのだお腹が膨れれば。


 宿に戻りちょっと太めのお姉さまから、おかえりなさいと声を掛けていただき、またひじに柔らかな感触が蘇ったのだ。


Second piatto 知的な女性


 海峡を越えても雨は止むことはなく、ほぼ一日列車を乗り継ぐ旅だ。


 特急列車であれば長時間の乗車にも耐えうるシートの形状、クッション性、リクライニングでそれほど疲れることはないが、ほぼ直角のシートでとても疲れる。車窓からの景観も雨で見にくく楽しむことが出来ない。


 長い長いJRの旅を終え、駅に降り立ったのは20時近くであった。


 今週末にこの地でG7の閣僚会議が行われるため、駅の構内には驚くほどの警察官が警備に当たっており、物々しい雰囲気だ。背中には京都府警、長崎県警など文字が記されており、他府県からの応援のようだ。
 この日程は把握しており、外してこの地を訪れるつもりであったが、すっかり忘れてしまい、異常なまでの警備を見て思い出した次第だ。


 駅構内を出ると雨の様子はまったくない。自転車を組み立て宿探しで、駅の周りには多くのビジネスホテルがあり安心したものの、空き部屋を当たると3軒のホテルで満室である。繁華街を探しカプセルホテルを当たることにした。
 途中警察署がありカプセルを尋ねると、やはり飲み屋街にあり、寝床が確保出来たのだ。


 施設内のレストランに行くと、これまた美しい女性のお出迎えで、


「牡蠣がおすすめですよ」


 早く売り切ってしまいたいのであろう。わかっているが美女に勧められれば断ることが出来ないのが男。やっぱり、、、馬鹿。ただ、私の年代の男は、マカと牡蠣に多く含まれる亜鉛が大切な栄養素である。この旅で、使い道はあるのだろうか。


 翌朝、目的地を地図で確認し向かうと 川に出くわして周りの景観にそぐわない廃墟が目に飛び込んできた。近づくと多くの人の姿がみられるが、観光地で見られる笑顔はどこにもない。本来は、街の象徴とは誇れるものが相応しいと思うのだが、この街の象徴は廃墟である。


 この地に立つことも私は長年思い続けてきたことだ。日本は戦後、永遠の平和を誓い、凄まじい復興を遂げたが、この惨禍の犠牲の元に成り立っていると思う。
 日本人として生まれ、この地と先週に訪れた場所には必ず立ちたいと願い続けていた。
 見たことは決して忘れることが出来ないし、忘れてはいけないことだ。言葉には出来ない。


 朝、この地の出身の知人に電話をいれ、昼休みの時間に電話をくれるとのことで、ベンチが空き腰掛けて待つことにした。


 隣のベンチには自転車を停め、読書にふける女性が座っている。意味もなくスマホを触っているのではなく、読書をしている姿はどことなく知的だ。


 着信があり読書の邪魔にならないように小声で話していたのだが、電話のやり取りを聞かれてしまったようで、電話を切った後、満面の笑みを浮かべ


「楽しそうでいいですね、三重から来られたのですか」


と、声を掛けられたのだ。きっと、私のことが気になり、本を読むふりをして、聞き耳をたてていたのであろう。決して声が大きすぎたとは考えない男って、ほんと馬鹿。


 お互いに自転車乗りとのこともあり、話題は旅の話から自転車、この先に向かう海道にも多くの情報を得られたのだ。そして彼女が待ち続けてる方の話に、都合30分程お付合い頂いた。
 彼女は来日中の元ウルグアイ大統領ムヒカ氏が、来日の際に慰霊碑を訪れたい、との発言を受け待っていると言う。行動日程は公開されておらず、


「お会いできるまで待つつもりです」


と話していた。ムヒカ氏に感銘を受けるなど、やはり知的な女性である。


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 彼の言葉に、


「お金に興味があるのなら政治家をやめ、商売人を目指せばいい」


と発言したことが記憶に蘇り、日本の多くの政治家にこの言葉を送りたい。


 ムヒカ氏が慰霊碑を訪れ黙祷する姿を後日テレビで見て、自分のことのようにうれしかったのだ。



 



番外 大好きなバンド


 旅の追憶記の第一章が終り、第二章に入る前に休憩、、、っと


 「旅」も「自転車」もまったく関係のない話で カテゴリーが気にはなるけど まぁ いっかww 大好きな音楽について書いてみよう


 このバンドとの出会いは今から何年前だろうか、、、両手 両足の指で数えてもとても足りない


 中学の頃からバンドを始め ベースなどと言う地味な楽器を弾いてました


 「バンドやろうぜ」


と集まった仲間は 経験者のドラム以外みんなギター希望でして、、、(そりゃ、バンドの花形)じゃんけんに負けた私が ベースを担当


 このバンドは主にロックのコピーをしてたんだけど 私はどちらかと言うと 黒人音楽が好きだったんです
 入った高校のブラスバンド部が ジャズのビッグバンドで ジャズの真似事なんかもしてました


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 ジャズをかじり ルーツでもあるブルーズにも触手を伸ばし 多くの黒人音楽を聞いてた頃かな


 確か高校一年生 バンド仲間の家に集まってるとき 隣の部屋(友人の兄)から聞こえてきた音が 気になって 気になって
 で それ以来 ずっとこのバンドを聞いてるんです もう30年以上
 主要メンバーは みな天国に召されています


 ジャズにロック、ファンク、ブルーズ、、、多くの音楽的要素を取り入れたバンド


 30代の頃にしてたバンドで メンバーがみな エリック・クラプトンってギターリストのファンでして メンバーみんなで一緒にライブに行こう ってなったんだけど 私はあまり乗る気になれなくて やめてしまったんですね


 ライブに行ったメンバーから


「片さん(私)の好きなバンドのピアノ ゲストで来てたよ」


って、、、で 当時の居住地だった名古屋での公演をスルーして 交通費、宿泊費とはたいて かみさん(今は逃げていないけど、、、)に怒られ 東京公演に飛んでいったことも いい思い出



Way Back Home - Crusaders