紀行、小説のノベログです 日々感じていることを盛り込み綴っています

「自転車と列車の旅の追憶」 紀行 完
「大海原」 紀行 完
「家族」 小説 完
“Soul bar-IORI” 短編小説 完

大海原 Second piatto 素敵な日


 対面を果たし挨拶を済ませ、さっそく飲み屋に直行である。どんな店が良いのか希望を聞かれたが、ここはお任せする以外はない。


 商売がら気になるのであろう。近くに平日は多くの客で賑わう立ち飲み屋があり、そこに行きたいと言う。サラリーマンが多くを占める街は、土曜日は空席もあり、すんなり入ることが出来た。


 立ち飲みスペースとカウンターには椅子も用意されていて、1時間の飲み放題で1000円の安さだ。私は芋焼酎の水割りで、相方もビールは苦手とのことで麦の水割りを注文して乾杯だ。


 料理なども大したものはなく、比較対象するには値しない店であろう。安く飲めるのはありがたいことではあるが、あまりにも安易だ。


 今は加工食品が食材の多くを占め、仕込みなど不要で、技術もなく店を出せる。手軽さ、便利さを求める代償は計り知れず大きく、感覚だけでは済まず、身体自体をも壊してしまうだろう。本来、口にすべきものではない化学物質を摂取し続ければ、必ず病み、壊れていく。選べる豊かさに加え、選ばない「ゆとり」も必要だと思う。


 一時間はあっと言う間に過ぎ去り、再度ここで飲むか、店を変えるかで、私が落ち着いたバーで飲みたいと希望し、


 「バーなら、私の店の近くにあるのでそちらに」


と、駅から見たら飲み屋街とは反対方向へ向かい、席に着いた。いくら飲み屋街を探しても見つからないわけだ。


 ジン、バーボン、スコッチと頂き、とても満足だ。今はハイボールのブームでウィスキーが品薄であり、熟成に年月を要す為、生産が追いつかない。そもそもウィスキーなどの重い酒は、居酒屋とかで食前、食中に飲んで美味しい酒なのであろうか。趣向品なので、何時、どんな飲み方であっても個人の自由ではあるのだけれど、ブームに流されてる人も多いのではと感じてしまう。
 私はウィスキーを頂くときは、静かに落ち着いた雰囲気が良い。


 とかく日本人は人の影響を受けやすいし、商業主義にもまんまとはまる。ハロウィンなんて何の日なんだろう。
 いっそ、10月23日を「イカしたおじさん(1カした023)の日」にして、おじさんに抱きつくと幸せになれる、なんて日を作ってくれないかしら。女子高生達が、きゃっきゃ言いながら


「おじさん み~けっ!抱きっ~~~~~」


 普段はろくに散髪もしない小汚いおっさんが、身なりを整え街に繰り出す。きっと素晴らしい経済効果が生まれると思うのだけれど、ダメかしら。


 今、読んでくれてるそこのあなた、「イカれたおじさん」って言いませんでしたか。

大海原 Second piatto 難しい問題


 携帯の着信音が鳴った。うとうとしたのであろう。ザックの中から電話を探し確認すると先方からメールが入っている。


「娘の用事で外出しており、連絡が遅くなりました。日立駅に来ることできますか?」


「もちろん行けますとも!」


 心の叫びと同じメールの返信をしていた。数回メールをやり取りし、17時に日立駅前と決まり、シャワーをして準備だ。自転車で行く必要はなく一駅だけ列車での移動だ。


 駅まで徒歩で行き、列車の到着を待つが、時間がなかなか過ぎない。


 一週間、一ヶ月、一年などあっと言う間に過ぎ去って行くが、この待っている十数分の時間が無性に長く感じる。同じようなことであるが、日々、12時から13時の間が、まるで誰かが時計を早送りしているように感じる。そして最悪なことに13時から15時までは、時計の針に重りが付けられた感じすらするのだ。


 これも相対性理論なのであろうか、、、アインシュタインの相対性理論は私の能力では理解できないが、これが相対性理論に基づくことであるならば


「ある、ある!」


である。ただ、相対性理論を理解しておらず、基づいているのかも不明である。


 私は星を見ることが大好きだ。それ故に「宇宙」に関する本を読むことが多く、必ず登場してくるのが、このアインシュタインおじさんである。


「お願いだから、出てこないで」


との願いは受け入れらることはなく、それもほぼ巻頭に出てくることが多くやっかいである。誰か、この難しい理論をわかりやすく説明できる方はいないのであろうか、、、きっと書いてる人も理解して書いていないのだろうと思う。


「池上(彰)さんって すごいなぁ~」と改めて関心をしてしまうのだ。


  駅で列車を降り、階段を上がると先ほどの展望室だ。


「もうあそこからの景観を見ることはないのかもなぁ~」


と思った数時間後に、またこの場所に立つことができた。


 私の住む三重県四日市市は、伊勢湾の海を望むことができるが、大気汚染にまみれた地であり、当然海も汚れ、外洋の大きさと美しさに思い馳せる。


 そろそろ約束の時間で、駅前のロータリーに出て待機だ。


 この駅は美しく、出入り口の外には「平和の鐘」がある。人は平和を望み、紛争ではなくとも他人との勝ち負け、争いをも好む矛盾した生きものだ。欲が渦巻き、他を認めず己の主張のみする人類に平和は訪れるのであろうか。相反することさえ望むのが人であり、知恵と欲がもたらす何物でもない。


「痩せたい、、、けど、あれも食べたい!」


どちらの願いを叶えてよいのやら、きっと神様もお困りであろう。


 しばらくすると、先方より着信があり、合流することができた。

大海原 Second piatto 勝ったり、負けたり


 駅に辿り着いたので居酒屋を探してみようと思い立った。持っている情報は、駅から数分、ビルの二階、店名でありさほど難なく探し当てることは可能であろう。


 駅裏に停めた自転車で表側に回り、辺りを見渡すと飲食店が軒を連ねる場所がある。多くのビジネスホテルもあり、一駅向こうで宿を取ったことを後悔もするが、致し方ない。あまりにも計画性のない私が、すべて悪いのである。


 特に先方の都合などお構いなしにこの旅を決行したことは、あまりにも無謀であるが、そこには先方がお店を営んでいることがあり、私の「無計画な計画」もさほど先方に対して害があることではないと思った。ただ、全てが順調に進まないことも想定内にし、


「こうなったら、ああする」


で良いと思う。だから旅は、過程にこそ面白さがあるのだ。


 駅前から何度も飲食店街を行き来すが、見つからない。飲食店街のメインストリートを外れた路地も隈なく探すが見つけることが出来ない。そして昼過ぎに連絡を入れると言う時刻が迫っているが、電話のコールが鳴る事もない。


 一瞬嫌な予感が頭を過ぎるが、最後まで相手を信じ、自分自身を信じよう。とことん信じて、それでダメならそれでいい。いつの日か、きっと旅の良い思い出になってくれるであろう。


 自身に言い聞かせるも、やはり気持が落ち着かない。観光どころではなく、景観も目に入らず、なにか彷徨っている感じだ。こんなときはどうするのが良いのか、、、寝るしかない。ホテルに戻り、休息だ。連泊にしておいて良かった。


 何気なくTVを点けるとサッカーをしている。スポーツ観戦は好きではあるが、他人のすることにさほど熱くはなれない。凡人には出来ない素晴らしい技を見せてくれるが、最後には「勝つ」か「負ける」かの勝負ごとで、私はそこに執着することはないく、興味がない。


 人は子供の頃から勝負を強いられている。学業にしろ体育祭にしても順位で評価され、そのまま大人に成っていく。人としてどれだけの意味があるのか、私にはわからない、、、。


 勝ったり、負けたりに一喜一憂し、とかく勝負事が人間は好きなのであろう。そこに自ら身を置き、壊れてしまう人が多いのも現実だ。


 人は無理をして頑張っても、頑張らなくてもいずれ死を迎え、致死率は100%である。どんなことにも「頑張れ」、「頑張って」とエールを送るが、私は頑張ることが嫌いだ。頑張る必要などどこにあるのだろうか。頑張ることも欲のためなのだろうか。人以外の動物は頑張ることはせず、自然に身を任せ生き続けている。


 私は私でしかない。他人と比べられるものでもない。人に負けることなどいくらでもあるし、どうだっていいこと。ただ、自分自身に負けないように生きてきたし、これからもそうありたいと思う。


 テレビに集中もできず、寝て、身体を休めることにしよう。