紀行、小説のノベログです 日々感じていることを盛り込み綴っています

「自転車と列車の旅の追憶」 紀行 完
「大海原」 紀行 完
「家族」 小説 完
“Soul bar-IORI” 短編小説 完

“Soul bar-IORI” 未熟

 ネットでニュースを見ていたら、嫌な記事が飛び込んできた。
『スマートフォンを見ながら電動アシスト自転車で高齢の女性に衝突し、頭を打って死亡させたとして、神奈川県警麻生署は15日、重過失致死容疑で川崎市麻生区の大学2年の女子学生(20)を書類送検した。送検容疑は昨年12月7日午後3時15分ごろ、同区上麻生の市道交差点で、歩いていた女性(77)に衝突し、2日後に死亡させた疑い』


 私は自転車を愛用する者としても女子大生のマナーの悪さ、モラルの欠如を悲しく思ってしまうが、どうしてこんなことが起こってしまうのか、、、そんなことを考えながら準備をしていた。自転車が人を傷つけてしまう物であってはならない。まして命を奪ってしまう凶器になるなど悲し過ぎる。


 BGMは大好きなサッチモのバージョンで。



Louis Armstrong sings "Mack the Knife"


 カラン、カランと呼び鈴がなり客の来店を知らせると彩香が顔をだした。ジンロックを頼み、バックから徐にスマホを取り出して操作を始めた。



「よ~し、完了っと。ごめんなさいね、ラインが溜まっちゃってて」



「とんでもないですよ。歩きながらせずに落ち着いた状態で携帯触るのは良いことですよ。歩きながらされる方も多いです」



「もうほんと、どいつもこいつも前向いて歩けっちゅーの、まじイライラしちゃう。街中を歩くにはこいつらをくねくねと避けて歩かないといけないですからね。お年寄りや身体が不自由な人だったら、こいつらのせいで怖くて歩けなくなっちゃいますよ」



「他人を思いやる気持ちもなければ、子供のときから『早くしなさい』って言われて育てられ、社会に出れば『効率』をうるさく言われて、何でも『ながら』が癖になってしまったのでしょうかね」



「同時にいくつものこと出来る能力なんか人間は持ってないんだから、みんな中途半端になっちゃうだけ。急ぎたいなら停まってスマホ操作して、その後さっさと歩いた方が断然に早いですよ。歩くなら歩く、ラインするならラインするですよ」



「おっしゃる通りですね。集中できる環境が効率はいいはずですよね」



「何かいじってないと落ち着かないなんて子供と一緒ですし、スマホに振り回されてるだけ」



「日本社会が成熟していない現われかもしれませんね。あと、平和ボケと言うか安全過ぎて緊張感が無さ過ぎなんでしょうね」



「スマホいじって歩いてるやつらは、引ったくりとかに合えばいいんですよね。そしたら止めるかもしれませんね」



 多くの要因があって「ながら行動」をする日本人。人を死に至らしめた女子大生に非はもちろんあるが、これは決して他人事で済まされるものではなく、こんな日本を創ってしまった私達国民すべてに責任があることだ。



 自動車大国であるドイツは自転車先進国でもあり、幼児教育から交通ルールをしっかりと学び、自己を守ることも弱者優先であることも叩き込まれる。



 中学で自転車通学する者が、ヘルメットの着用義務があれば着用し、なければ着用をしない。例え中学で着用義務があり着用していても、高校になって義務がなければ着用をしなくなる。己を守ることの教育が出来ていない形だけの日本の教育で、こんなものは教育ではない。こんな教育から安全を考える人間が育つはずはなく、着用義務のない学校を羨ましく思うだけのことであろう。着用率を争う先生方のお遊びなのか?痛ましい事故を失くそうと、日本が真剣に取り組んでいるとはとても思えない。日本の行政、教育が変わらなければ、この先、余りにも馬鹿らしい理由、情況で、尊い命を落とさなけらばならない方が決していなくなることはない。

“Soul bar-IORI” 必修科目2

 日本に麻雀は明治末期に伝わり、広く一般に知れ渡ったのが大正の終わりごろだと言われる。明治42年、かの夏目漱石も「満韓ところどころ」で麻雀を紹介している。そして、同時期にアメリカにも麻雀は伝わった。


 戦時中は麻雀も下火であったが終戦ととともに復活し始め、麻雀愛好家でもある作者による「麻雀放浪記」を期に麻雀ブームが到来する。しかし、賭博も絡みあまり良いイメージを持たない方が多いのも事実だ。


 刑法第185条(賭博):賭博をした者は、50万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。
 科料(かりょう)とは1000円以上10000円未満の財産刑で、刑罰の中では一番軽いものだ。罰金は1万円以上と決められている。
 ただし以後の解釈が難しいが、組織的な営利団体ではなく、かつ常習でなければ「良し」とも取れる。この部分は過去の判例では認めてはいないが、この場合、摘発を受けても起訴されることは稀なようだ。


 日本には憲法があり、国民の自由を制限することが憲法違反に当たるとの考えもある。ただ、今のところこの違法性は認められておらず、賭博罪は合憲。ちなみに「日本国憲法」とは、国家が国民に対して守るべきことを約束したもので、一般市民が憲法違反で摘発されることはないので、念のため。


「麻雀は遊びでなら、それほどうるさくは言われないってことですね」


「そのようですね。他の犯罪を誘発したり、怠惰で浪費な風潮を蔓延させてはだめですけどね」


「マスターは麻雀するんですか?」


「今はほとんど機会がないですけど、学生時代は結構やってましたね。必修科目みたいなもんでしたから」


「明るく健全ってイメージないですよね」


「そこなんですよね、問題は。アメリカは一部の学校で授業の中で行われてたぐらいとても素晴らしいものなんですけどね」


「ギャンブルとして見てしまうからダメなんですね」


「今、若い世代は人とコミュニケーション取ることも苦手な方が多いですよね。人の意見に流されず個を重んじることは大切なことですけど、ちょっとそれとは違う風潮だと思うんです。麻雀はゲームの複雑さから頭の回転も良くなるし、コミュニケーションを取るにも良いものだって思いますよ」


 麻雀を教育に取り入れるなどは余りにも無謀だが、無意味とも思える知識を詰め込む教育だけではなく、楽しく学べる何か斬新な教育が今の日本には必要なのかもしれない。

“Soul bar-IORI” 必修科目1

 私の中学時代はバンドに明け暮れ、学校の成績はあまり褒められるようなものではなかった。進学した高校でよく言われた言葉は、
「何でこんな中学の問題がわからんのだ!」
 あのね、先生、、、中学の問題がわからないから、この高校に来てるわけで、わかっていたらここに居ませんよ。


 高校からは掛け持ちで新たにジャズバンドに加わり、より一層アフリカ系アメリカ人の音楽にのめり込む。自分の前世はアフリカ系アメリカ人だった、と真剣に思うぐらい、、、のお馬鹿さん。


 高校2年になると将来の進路に向けたクラス分けが行われ、成績優秀な方々は多くの科目を学習し、目指すべきところを目指す。私の場合、数字が苦手でこの関係は諦めるしか方法がなく、目指すべきは入試に数字関係がないところ。数字関係の授業はあっても無駄でそんなものは1年で終り、ラッキー!ただ、数字に弱い自分に不安もあり、ある程度は数字に強くならなければとの思いがあった。数字と真剣に向き合ってみよう、頑張れ!俺。


 中学から始めていたロックバンドは4人組で、高校生になって音楽以外にこの4人で新たな取り組みが始まった。練習を終るとこたつのテーブル面をひっくり返して緑の毛羽立った面を向ける。多くの数字などが描かれたもので、お勉強の時間だ。これ結構頭を使い、瞬時に向かうべき方向を定めたり、他の者との駆け引きや、細かな計算も必要で多くを学ぶことができる。何よりも数字に強くなり、数字を見て答えを導き出す能力も身に付く。そして、「餃子の王将」で店員さんがオーダーを通すときに使う、「イーガー」「リャンガー」など <何言ってんだこいつ> と思っていた言葉も理解できるようになった。外来語までもが身に付く素晴らしいものだ。


 BGMは軽快なヴォーカル曲で。



The Original Memphis Five - SINCE MA IS PLAYING MAH JONG - 1924


 カラン、カランと呼び鈴が鳴り客の来店を知らせると、ラウンジでの仕事を終えた優子が顔を出した。ハーパーのロックを頼み他愛も無い会話を楽しんでいる。



「今日はお店メンツが足りなくって大変だったみたい。新しい子はテンパっちゃてレンチャンで失敗、、、ちょっとぐらいチョンボしたって、、、アンパイを、、、」



「結構お好きなんですね」



「何がですか?」



「いやいや、先ほどから中国の言葉が、それも麻雀用語が連続してますんで」



「え?麻雀なんてやったこともないし、リーチぐらいしか言葉は知りませんよ。そんな用語使いましたか?」



「はい、メンツにテンパイ、レンチャン、チョンボにアンパイって」



「やだ、まるでおっさんみたい、って、普通に使いますよ。でも麻雀用語とは知らなかったなぁ~」



                                  続く