紀行、小説のノベログです 日々感じていることを盛り込み綴っています

「自転車と列車の旅の追憶」 紀行 完
「大海原」 紀行 完
「家族」 小説 完
“Soul bar-IORI” 短編小説 完

“Soul bar-IORI” 日本のお茶2

「茶道はお客様にもてなしの気持ちを表したものなんです。もてなす心とは何も煌びやかで豪華絢爛である必要はまったくなくて、手抜かりせず自分の出来る範囲で精一杯尽くすことにあると思うんです。質素な部屋に客人を招くにあたり、書や絵を飾り、花を生けて、ご馳走を振舞い、お茶を立てる。もてなす側と客人が心を併せ一体となるよう努めるだけのことです」


「その心を表すものが、高価な掛け軸であったり、茶器になっていってしまったんですね」


「茶道の本来あるべき姿ではないですね。ほら、ご馳走も今は、豪華な食事を『ご馳走』なんて言いますけど、字を良く考えてみてください。走りまわるって言う意味ですよ。客人をもてなすために、それこそ走り回って食材を集め振舞われた料理がご馳走なんです」


「豪華で贅を尽くした食事って思ってしまいますけど、まったく意味が違いますね」


「違った意味で捉えられてしまってることが日本には多くありますね」


「後はどんなことがありますか?」


「そうですね~、お茶とはまったく関係ない話ですけど、日本人女性のあるべき姿として『男より3歩下がって歩け』なんてのがあるんですね。日本人女性の奥ゆかしさや男を立てる女性を形容する意味合いで使われるんですけど、まったく意味が違うんです」


「あ~男を立ててね、やだやだ、そんなの。本当はどんな意味なんですか?」


「これは武家社会から来てるんですけど、武士は命を狙われる相手からいつ剣を抜かれるかわからないわけですよ。例え不意に相手が剣を振りかざしたとしても3歩下がって歩いていれば、危険がなく女性を守ることができるわけです。武道の教えがまったく違った意味で今の世に伝えられてしまってますよね。私も剣道をやっていましたので、3歩の意味がよくわかりますし、剣術は人を殺傷するためだけにあるのではなく、己を守るためでもあるんです。心と技が一体する美もあります。安全な社会、場所であれば女性を尊重しレディ・ファーストでいいんじゃないですかね」


「そうなんだ、本来は女性を守るためにそうしろと男は言うわけですね。なるほど。男がえばり散らして言うべき言葉ではないんですね。女性が優位であることが丁度いい加減かもね」


「そうですね、優位って言うと語弊があるんですけど、力では男が断然に勝るわけですから、男が女性を守り、均衡が保たれるんです」


「それで初めて平等になるわけですね、なるほど。時代が移り変わると共に多くのことが違った意味で伝えられてしまってるけど、昔は今ほどの欲もないだろうし、質素であってもみんな幸せだったかもしれませんね。わび、さびを大切にしたいです」


「古来からある日本の文化は世界に誇れるものなんです。大切にしないといけないですよね。では欲を捨て、飾らずに原始に戻ってまっ裸で行きますか~」


「じゃあ、、、って脱ぐわけないでしょ、アホっ!欲だらけだっちゅーの」


「・・・・・」

“Soul bar-IORI” 日本のお茶1

 日本にも多くの種類のお茶があるが、そのほとんどが緑茶である。中国では「釜炒り」して発酵(熟成)を止めるの対し、九州の一部を除き「蒸す」行程で発酵させないお茶を作っている。一部の茶葉産地では紅茶も生産されているようだが、商業的に成功してるわけではない。私の住む四日市も山間に行けば茶畑が広がりお茶の生産では三重県が全国3位を誇っており、伊勢紅茶なるものも生産しているようだ。まぁ、三重県は悲しいかなマイナーな県で何処にあるかも知らない方も多いのでとりあえず3位であることを自慢しておこう。


旅先での居酒屋女性店主(ゆかりさん)との会話、、、
「へぇ~三重から来たんだぁ~。で、三重県って処にあるの?」
「紀伊半島の東側で、、、」
「あ~あそこら辺ね。昔、奈良に行って、奈良から伊勢神宮に行ったけど、三重は行ったことないなぁ~」
「それ、三重県だってば。伊勢神宮は三重県」
と、言うぐらいマイナーな県で、三重は知らずとも、伊勢神宮、鈴鹿サーキットは知っている方が多いのかと、、、悲しすぎ。私の家でもF1の爆音が聞こえ、うるさい。


 日本の緑茶の生産はほぼ煎茶で、元々はお湯で煮出して(煎じ)抽出していたのでこう呼ばれている。現在は製茶行程で「揉む」ことが加わり、煮出すことなく手軽に急須で淹れられるようになったお茶(淹し)だ。


 後、意味不明なのが色、日本のお茶はほぼ緑色なのだが、なぜ茶色が緑ではなく Brown なのか。中国から最初に伝わったお茶が発酵茶で茶色をしていて、その色から茶色が生まれたとのことだ。


 BGMは何故かこの曲、、、



宮崎県内全駅ぶらり旅① 吉都線編 花咲く旅路 歌詞付き


 カラン、カランと呼び鈴が鳴り客の来店を知らせると彩香が顔を出し、ジンロックを頼み提供した。



「何か最近日本の曲ばっかりですね。こないだのお姉さま達より断然に良いですけど」



「日本のお茶のこと考えてて確かこの曲がお茶のCMで使われてたんですよ」



「そうなんだ。ほっと落ち着いて、お茶のイメージにも合ってる気がしますね」



「でも、お酒が一番癒してくれるでしょ?」




「まぁ、それはそれ。でもさ、お茶って気持ちを落ち着かせてくれてほっとした気分になるんですけど、茶道はなんか違いますよね。硬苦しくって、作法だどうのって、あんなくそ面倒臭いもの何が楽しいんだろう」



 平安期に中国から遣唐使によって伝わったお茶は、日本で「茶道」と言う独自の文化を生み出した。これは室町期における茶に絡んだ博打や盛大な飲酒を伴う茶会を戒め、亭主と客人による精神交流を重視する茶会のあり方を説いたもので、わび茶の源流となっていく。



 「わび」とは、簡素な中に存在するひっそりと寂しい趣で、利休が完成させた「わび茶」は簡素簡略の境地「わび」の精神を重んじたもので、草庵の茶こそまさしく「わび茶」だ。同時に使われることの多い「さび」は、古びて味わいのあるもの静かな趣を表した言葉。



「草庵ってどんな意味なんです。お店の名前も『庵』ですよね。お蕎麦屋さんみたいですけど」



「草で造った簡素な建物って意味ですね」



「茶道の精神からお店の名前付けたんですね」



 本来茶道は、主人が質素な茶室で、客人に合わせた掛け軸、活花を飾り、料理、そして茶の後に振舞われる菓子に至るまで、いかに客人を喜ばすかを表したものだ。そこには一体となった美が存在する。もちろん、互いの気持ちを保つには守るべきことはあるが、作法に重きを置き、煌びやかな着物を纏い、高価な茶器を使い主人の力を誇示するものでは決してない。彩香の言わんとすることにうなずけてしまう。本来の思想から大きく外れてしまったのも茶道であろう。



                                        続く

“Soul bar-IORI” 原因と結果2

  日本には古来から素晴らしい言葉がある。食事の前に言う言葉「頂きます」イスラム、キリスト国家も食事前に祈りを捧げるが、それは神に対して感謝の表れであり、食べ物に対してではない。


 人が生きていく上で最も重要なことは食べること。食べることにより熱を生みエネルギーとなるが、人が普段食する物は塩、水以外はすべて命あるものだ。他の命を「頂き」生きて行ける。その命に対する感謝の言葉が「頂きます」だ。食材に対してだけではなく、猟(漁)をしてくれる者、米、野菜を生産してくれる者、調理をしてくれる者に対しても感謝の気持ちを込めた言葉だ。これほど素晴らしい言葉を持つ日本を私は「誇り」に思う。


 子供達が猟(猟)、農を見て理解する機会はさほどないであろう。調理に手間隙かける母親の姿を見て、親から食材、生産者のことが伝えられ、食事が出来ることに感謝することを学んでいく。


 経済成長と共に多くのインスタント食品、加工品、出来合いのお惣菜、弁当が食卓に上り、時間をかけ調理する母親の姿は多くの家庭から消えた。子供達が食事は簡単に出来るものと感じても、何ら不思議はない。母親が調理に時間など掛けていられない日本社会の構図、利益を求め安易な加工品を開発する企業に非があるが、子供にきちんと教えない(られない)親にも責任はある。


 食への感謝の気持ちが薄れれば、当然食材を粗末にし廃棄は増える一方だ。化学の進歩で様々な食品添加物が生産されて安易な加工品が増え、まともに料理など出来ずとも飲食店が開店できる国、日本。飲食店の異常なまでの多さも食品廃棄に拍車をかけている。


 また、賞味期限が設定されてから、食品廃棄が急増していることも見逃してはいけない。賞味期限とは、「美味しく食べられる期限」であり、食品が食品と成さなくなる日付では決してない。何でも作りたてが美味しいが、そもそも加工品を買い求める多くの人の舌がまともな感覚ではないと私は思っている。加工品に含まれる化学物質の多量摂取で舌は確実に麻痺している。そんな繊細な舌の持ち主では決してないはずで、食品が食品と成さないまでは十分に食べられるものだ。まぁ、企業にとっては家庭で期限切れを向かえ、廃棄し、また新たに購入頂ければなにより喜ばしいこと。


 日本には多くの要因があり、食品廃棄率は恐らく世界の頂点に立つであろう。何でも上を目指す教育を受け、これも豊かさを示す誇りなのであろうか。食材への感謝の気持ちを失い得たものがこれだ。こんな日本を「埃」に思う、ゴミ。すべての物事には原因があって結果が生まれるのだ。食料廃棄削減に取り組むことも大切であるが、先ず大切なのは私達大人が食に対して価値を見つめなおし、子供達に受け継ぐ教育だと思う。


 日本は先進国として世界のリーダーとなる資質があるのか、私には多くの疑問がある。