紀行、小説のノベログです 日々感じていることを盛り込み綴っています

「自転車と列車の旅の追憶」 紀行 完
「大海原」 紀行 完
「家族」 小説 完
“Soul bar-IORI” 短編小説 完

“Soul bar-IORI” むらさき3

 お醤油の味は1年から3年を掛けゆっくりと醸し出され、熟成期間が長いほど味に丸みがでてとても優しい味。ただ、3年以上熟成させると逆に品質は落ちてしまうそうだ。国産の有機大豆は0.2%程しか流通がなく、この大豆を用いた3年熟成の醤油は恐ろしい値段で売られている。貧乏人の私にはとても買えない、、、


 お醤油の製法は本来の微生物の力を用い発酵させる物と、化学の力を用いる物とがあり、微生物と化学の力を併せ、数ヶ月から半年ぐらいまでの熟成で完成される物とおおまかに三通り。化学醤油は醤油とはまったくの別物で、値段も安く提供されるが、添加物があまりにも多いのが気になるし、微生物が醸し出す複雑な味は楽しむことが出来ない。


 あと、丸大豆ではなく脱脂加工された大豆を用いて醤油も造られる。醤油をよりよく造る為に脱脂するのではなく、脂を取った後のかす。言わば廃棄物。廃棄物を利用することは頂いた命を無駄なく使うためには良いことではあるが、本来の味とは違うもの。


 醤油を造るのにタンパク質だけがあれば良いとの考えも賛同できるものではない。現に人毛で醤油が造られていたこともあると言う。また、添加物に入れられてはいないが、旨み成分を作り出し、今は多くの食品に入れられる「タンパク加水分解物」。必要な物がタンパク質であり、羽毛とかも使われるらしい、、、水で分解するような感じなのだけど、加水の水って塩酸のこと。塩、化学調味料とこのタンパク塩酸分解物があれば、作れない味はないと言われる。タンパク質ならなんでもいい、とは決して言えないのではないだろうか。そんなことの温床にも成りかねない。こんなものばかり食べさせられて健康でいることがおかしいのかもしれない。


 食品添加物に関してはいろいろな見解をされる方がいて、何が正しいのかはよくわからず、私も専門的な知識があるわけでもない。ただ私が思うに、今は
「人体実験中」
と言うのが妥当なところではないのか。


 絶対に安全だと言われる量が添加されるが、この絶対は、単品での数値。複合摂取した場合の化学反応はありとあらゆる組み合わせがあり、実験など出来るわけではない。現に単体では絶対に安全と言われた化学物質も、複合した場合に毒素を生み出した例は後を絶たず使用禁止になることがある。


 科学に絶対などあり得ず、地球外生物がいることもなんら不思議なことではない。幽霊や死後の世界は、、、ちょっと科学からは外れるが、ロマンがあっていい。天国に行ったら、BBKing に会って、「あなたのお陰で、私の人生はとても楽しかった。ありがとう」そう伝えたい。誰?「お前は地獄ぢゃ~」言うたん、もしかして兄貴?


 私はモルモット扱いされるのが嫌なだけで、何を選ぶかは消費者個人の自由である。実験台に乗っかり、世のため、人の為に尽くすのもこれまた素晴らしい生き方かもしれないが、私は嫌だ。安易な食材は手軽さを得る代償に大切な物を失って行く。感謝の気持ち、伝統、家族の絆、そして、日本人に備わっていたはずの大切な味覚も失ってしまう。後天性の味覚障害は薬物投与、亜鉛不足から引き起こされると言う。


                                      続く

“Soul bar-IORI” むらさき2

 現在、生理学では味の基本要素は「旨み」を加えて5つとされているが、欧米人にはなかなか理解できない味のようだ。人にとって、くうねるやるが最も大切であり、楽しいことでもあり、より繊細に味の識別が出来、食事を楽しめる幅が広がることはとても素晴らしいことだ。


 人の味覚は離乳時から形成が始まるとされる物や、母体内で羊水を通じ形成されているとかいろいろで、正直何が正しいのかはよくわからない。ただ、子供の味覚は体の成長と同じく乳幼児期に著しいスピードで形成されていき、生後から乳児期は味をつかさどる味蕾(みらい)の数が最も多く、味覚が鋭敏な時期であることは間違いない。幼児期にはある程度完成されてしまうものなのかもしれず、繊細な味が識別できるようになるにはとても大切な時期だ。


 マックの戦略?もここにあり、この時期に「味を覚えこませ」生涯離れることもなく、また、自分の子供を連れ、マックに足を運んでくれるであろうと言うものらしい。人の知恵とは恐ろしい、、、


 日本は古来より淡白な食事であることが多く、質素であるが故に、素材の味が存分に楽しめるよう味付けも工夫されてきたのだと思う。シンプルにお塩で頂くものや、素材の味に、より複雑な旨みを加える醤油は欠かせないもので、そんな調理法から日本人の舌が養われてきたのだと思う。


「西洋料理だと白身のお魚とかは何を使ってもそのソースの味でしかないけど、お刺身で頂いて素材の持つ味がはっきりわかるし、魚の生臭さもお醤油が消してくれるわ。煮物やタレにお醤油使うときも、素材にあわせて味醂と併せる量や濃さも調整しますもんね」


「そうですね、それに旨みはデンプン質ととても合いますから、お出汁をきかせた蕎麦やうどんもいいですよね。日本食にはなくてはならない調味料です」


「日本人には大切なものなんですね。私達のビーエとヴルストと同じね、あ、ビールとソーセージのことね」


「あ、ハーブのセージを入れないとソーセージって呼べないとかあるんだよね」


「もう、それは本当ではありませんね。セージはほとんどの方が入れますけど名前とは関係ないです。フランス語ではソーシスsaucisse、イタリア語ではサルシッチャsalsicciaと言いますね。日本みたいに何でも縮めたり言葉を繋げたりしないです」


「げっぇ、、、私はてっきりセージが入るからって思い込み、、、じゃあ、ウインナーとソーセージの違いは何?」


「全部ソーセージ。ウィーンは羊の腸に詰めるのでウィンナーね、豚の腸がフランクフルト、牛の腸がボローニャ」


「なるほど~、その土地で使う腸が違って太さが変わるのかぁ~」


「前に赤いウィンナーあって何だろう~って思って買ったら変なお肉だった」


「あれはお魚さんなの」


「魚?そんなのないです。もう日本は偽物ばっかりですね。もう、ウィンナーとかソーセージって呼んじゃだめです。日本の物なら日本の名前を付ければいいんです」


「日本は確かに他国の文化を取り入れて、配慮がないですからね。あまりにも自分勝手で残念だと思います」


「でも、日本人にとって大切なお醤油はきちんとしてるんでしょ?」


「う~ん、そう言われてしまうと心苦しいものがありますね」


                                      続く

“Soul bar-IORI” むらさき1

 むらさきと聞いてお醤油を思い浮かべる方は、もうそれほど多くはないのかもしれない。家康が征夷大将軍に任命され、中央政権が江戸に移され政治の中心にはなったものの、文化面では京、大阪に遠く及ばない。江戸に独自の文化を創ろうと、高価で貴重であった醤油に、皇族にしか使用が認められなかった紫色にその思いを支配階層が託したとされ、こう呼ばれるにようになったとか。醤油が紫と呼ばれるようになったのは諸説あるが、醤油に対する思いは強かったのであろう。


 お醤油は中国から伝わった食物を塩漬けにした醤(ジャン)がルーツで、魚を発酵させた魚醤、大豆を発酵させた味噌から醤油が生まれた。江戸の中期までは、味噌を仕込む際に出来る上澄みのたまりが醤油のスタンダードで、それ以降に今で言う一般的なお醤油が出来上がる。


 蒸した大豆と炒った小麦にコウジカビを加えて、塩水と共に樽の中で一年ほどの時間をかけて発酵させてお醤油は出来上がる。その香り成分は300を越え、自然の持つ力の奥深さを知ることが出来る。


 BGMはこの曲で。

The Jimi Hendrix Experience - Purple Haze (Music Video)
 カラン、カランと呼び鈴が鳴り客の来店を知らせると優子と久し振りにクリスティーネが顔をだした。優子はハーパーのロックを、クリスティーネはカールスベルグのビールを楽しんでいる。


 二人は民族の持つ遺伝子から、日本人の意識やそれを西洋人から見て不思議に感じることなどに触れ、今は料理や味覚について話をしているようだ。ドイツは北緯47度から55度で北海道より北に位置している。南のイタリア、フランスと比べて安易に食糧生産が出来る国では決してないであろう。


「ドイツは、イギリスみたいに主食としてジャガイモは食べませんけど、ジャガイモ料理は多いですよ。ジャガイモだけでフルコース作れるわ。後は野菜の酢漬けやソーセージかな。豚肉はみんな好きですね」


「ピクルスとかザワークラフトね。保存性の高いものが多いのは日本と似てるね」


「あ~でも日本のお漬物だめですね、美味しくありません。それに、日本の料理は何でもお醤油でみんな同じ味、楽しくありませんね」


「そっかぁ~、漬物もお醤油もだめかぁ~」


 人の味覚は甘、辛、苦、酸の4味を識別する物であるが、これに日本人は「旨み」と「渋み」を識別する舌を持つ。旨みとはグルタミン酸で、世界的に見ても日本人の舌は繊細でより多くの味の要素を識別でき、より食事を楽しめることでもある。


                                                    続く