大海原 Second piatto 頂くと言うこと
バーを出て、駅ビルテナント内のチェーン店に向かった。常連から
「あそこの出し巻きがおいしい」
と言われ試してみたいと言う。美味しいわけないのに、、、と思いながらもお付合いだ。お店を営んでいれば、競合店に行く機会はそうそうあるものでもないであろう。
美味しい、不美味いは、個人の好みもあり適切な表現ではなく、自分の口に合うか、合わないかがより適切であると思が、全国区の居酒屋チェーンで美味しい物に出会った経験がないし、期待すらしていない.。
さすが全国区の大手居酒屋チェーンで、多くの客で賑わい、年齢層も幅が広い。
相方は焼酎、私はビールを頼み3度目の乾杯だ。ビールはジョッキの内側が汚れ多くの気泡を作っている。ビールを見た時点でこの店はアウト。客に美味しいものを提供しようなど心にもないことが、一杯の生ビールに現れている。残念であるが、これが現状だ。
飲食店は大きく様変わりしてきた。立ち飲み屋でも感じたことだが、化学の発展と共に加工食品が大半を占め、チェーン店ではセントラル・キッチンで調理されたものがお店で提供される。すべて添加物の賜物、化学の結晶である。コストを考えれば当然であり致し方ないが、より美味しいものを提供したいと言う気持ちは、店舗スタッフに生まれることはない。
便利なものを多用すれば、食の価値は薄れ、食材に対しても感謝の気持ちを持つことはないであろう。食品廃棄がスーパー、飲食店で問題視されることが多いが、食への価値が薄くなれば、当たり前の感覚に陥ってしまう。また、食品廃棄は業者だけではなく、一般家庭から出されるものが多いのも現実である。
人は他の命と引き換えに己の命を維持して行ける。ゴミになるため命を捨てるなどまっぴら御免であろう。
私の住む四日市に、感動をも与えてくれる出し巻きを出してくれる小料理がある。もちろん作り置きなどできる代物ではなく、焼き上がりと同時に大量の出汁が染み出す。半端ない量の出汁が入れられ焼かれる、見事な出し巻き玉子であり、素人が巻けるものではない。旅から戻ったら、また顔をだしてみよう。