紀行、小説のノベログです 日々感じていることを盛り込み綴っています

「自転車と列車の旅の追憶」 紀行 完
「大海原」 紀行 完
「家族」 小説 完
“Soul bar-IORI” 短編小説 完

“Soul bar-IORI” 原因と結果2

  日本には古来から素晴らしい言葉がある。食事の前に言う言葉「頂きます」イスラム、キリスト国家も食事前に祈りを捧げるが、それは神に対して感謝の表れであり、食べ物に対してではない。


 人が生きていく上で最も重要なことは食べること。食べることにより熱を生みエネルギーとなるが、人が普段食する物は塩、水以外はすべて命あるものだ。他の命を「頂き」生きて行ける。その命に対する感謝の言葉が「頂きます」だ。食材に対してだけではなく、猟(漁)をしてくれる者、米、野菜を生産してくれる者、調理をしてくれる者に対しても感謝の気持ちを込めた言葉だ。これほど素晴らしい言葉を持つ日本を私は「誇り」に思う。


 子供達が猟(猟)、農を見て理解する機会はさほどないであろう。調理に手間隙かける母親の姿を見て、親から食材、生産者のことが伝えられ、食事が出来ることに感謝することを学んでいく。


 経済成長と共に多くのインスタント食品、加工品、出来合いのお惣菜、弁当が食卓に上り、時間をかけ調理する母親の姿は多くの家庭から消えた。子供達が食事は簡単に出来るものと感じても、何ら不思議はない。母親が調理に時間など掛けていられない日本社会の構図、利益を求め安易な加工品を開発する企業に非があるが、子供にきちんと教えない(られない)親にも責任はある。


 食への感謝の気持ちが薄れれば、当然食材を粗末にし廃棄は増える一方だ。化学の進歩で様々な食品添加物が生産されて安易な加工品が増え、まともに料理など出来ずとも飲食店が開店できる国、日本。飲食店の異常なまでの多さも食品廃棄に拍車をかけている。


 また、賞味期限が設定されてから、食品廃棄が急増していることも見逃してはいけない。賞味期限とは、「美味しく食べられる期限」であり、食品が食品と成さなくなる日付では決してない。何でも作りたてが美味しいが、そもそも加工品を買い求める多くの人の舌がまともな感覚ではないと私は思っている。加工品に含まれる化学物質の多量摂取で舌は確実に麻痺している。そんな繊細な舌の持ち主では決してないはずで、食品が食品と成さないまでは十分に食べられるものだ。まぁ、企業にとっては家庭で期限切れを向かえ、廃棄し、また新たに購入頂ければなにより喜ばしいこと。


 日本には多くの要因があり、食品廃棄率は恐らく世界の頂点に立つであろう。何でも上を目指す教育を受け、これも豊かさを示す誇りなのであろうか。食材への感謝の気持ちを失い得たものがこれだ。こんな日本を「埃」に思う、ゴミ。すべての物事には原因があって結果が生まれるのだ。食料廃棄削減に取り組むことも大切であるが、先ず大切なのは私達大人が食に対して価値を見つめなおし、子供達に受け継ぐ教育だと思う。


 日本は先進国として世界のリーダーとなる資質があるのか、私には多くの疑問がある。

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