紀行、小説のノベログです 日々感じていることを盛り込み綴っています

「自転車と列車の旅の追憶」 紀行 完
「大海原」 紀行 完
「家族」 小説 完
“Soul bar-IORI” 短編小説 完

“Soul bar-IORI” ラーメン1

 日本の国民食とまで言われるラーメン、大好きな方も多いであろう。カレーとどちらが好きか尋ねられた場合、私にとっては、ジュリア・ロバーツとキャメロン・ディアスのどちらが好きか尋ねられることと同じぐらいの愚問だ。好きは、もちろん演技である。


 ラーメンは明治期の末、東京浅草の店舗が始め、その後大正期に入り広く一般に知れ渡ったのだが、最初にラーメンを食べた日本人は、城主を退いた後、越後のちりめん問屋の隠居と身分を偽り、家臣を従え全国を漫遊し悪人どもを懲らしめた「恐れ多くも先の副将軍、水戸光圀公に有らせられる」らしい。


 ちなみに、、、江戸期に於いて「副将軍」などと言う役職はない、、、また余談ではあるが、よく~~藩、この方の場合水戸藩であるが、この「藩」は明治期に入ってから使われるようになった言葉で、江戸期の時代小説や時代劇の会話で「~~藩」と出てくるのは、ちょっと変。明治期以降の回想のナレーション以外ではあり得ない話、、、


 最初にラーメンを食べた日本人であるとされる徳川光圀は、とても勉強好きな方であったらしく、決して旅が好きだったわけではないと思う。中国の儒教思想に深く傾倒し、学問の師として中国の儒学者「朱舜水」(しゅしゅんすい)を長崎から招き、礼法、農業、造園、食文化について教えを受け、その中で朱舜水から振舞われた麺料理がラーメンの原型であるとされている。醤油かな~、味噌かな~、それとも塩?、、、<ラーメンは絶対に醤油!>、、、誰だ?誰かがベルのタレでジンギスカンを食べながら、叫んでいる、、、


 73歳まで生きた徳川光圀は、当時としてはかなりの長寿であろう。その光圀が残した言葉が「桃源遺事」に書き記されている。


「無病延命の術は、鳥獣に学ぶしかない。鳥獣は腹が減れば食べ、満腹になれば食べることを止める。しかし人はうまければ、限度を越えて食べもすれ、飲みもする」


 良いことをおっしゃり、さすがはメタボチックな悪代官や越後屋を懲らしめた方だ。


「越後屋、お主も悪よの~」


「いえいえ、お代官様ほどでは、、、」


 隣の部屋には越後屋に捕らえた町娘が。「悪代官ごっこ」は憧れだ、、、馬鹿っ。


「何をなさいます、おやめくださいお代官様」


「え~い、うるさい」


 町娘つづりっちの帯に手を掛け一気に引っ張り上げると、両手を上げた娘はくるりと舞をみせる。


「あ~れぇ~」


 「水戸黄門」に悪代官と越後屋が出てきたかはわからないが、薄給にも係わらず領民の為に自己を犠牲にし、勤め上げたのが代官だ。あんな悪いやつはいなかったであろうし、あれはテレビCMから生まれたものだ。


 ちなみに、葵御紋の印籠を目にした「いい人グループ」、「悪い人グループ」問わず土下座をしてお辞儀をする姿は、将軍家、御三家(尾張、紀州、水戸)自国の領主に対しては土下座の義務があり正しい認識であると思うが、「土下座して詫びる(謝れ!)」などは時代劇(小説)の影響から持てはやされてしまった行為である。そして時代劇では街道を行き来する者が参勤交代の大名行列に出くわし、他国の領主にも土下座をしてお辞儀する姿がよく描写されるが、あれは本当のところどうなのか疑問だ。まったく関係ない話だが、私の愛する方の娘さんの名前は「葵」ちゃん。「ハッ、ハァ~」


 え~っと、私、何をしていたんだろうか、、、GBMもかけずにラーメンを考えていたら水戸黄門が出て来て、お代官様が出て来たと思ったら、私が悪代官で女性の帯をクルクルとほどき、葵ちゃんに土下座していた、、、あっ、夢かぁ~客も来ないし、映画でも観るか、、、


                                                                                        続く

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