紀行、小説のノベログです 日々感じていることを盛り込み綴っています

「自転車と列車の旅の追憶」 紀行 完
「大海原」 紀行 完
「家族」 小説 完
“Soul bar-IORI” 短編小説 完

“Soul bar-IORI” 想定内


 「絶対」とは何事も比較できないことで、対義語は相対。副助詞として用いられる場合、無条件でとか、なにがなんでも、の意味で使われる。東北の震災後、想定外と言う言葉をよく聞いた。仮に定めていた情況、条件が外れてしまったのであろう。科学に絶対はあり得ないとされ、私も異論はない。


 絶対に大丈夫とされた原発は、想定外の規模であった自然現象にもろくも崩れ去った。起こってしまったことに対し、何かを言ったところで元に戻ることはなく、今後、どう対処していくかが重要であると思う。


 人の考え方、振る舞いも絶対的なことはあり得ない。半強制的に絶対を主張することは、法に触れないことである限り日本では考えられない。


 世の中には相対して成り立つものがほとんどで、人の持つ思想も多くは相対であり、相反することが多い。一方だけの考え方を押し付けて、よりよい方向に向かうことはなく対話が重要だ。


 こんな感情のときやはり聞きたくなるのはこの男の曲だ。



Marvin Gaye Let s Get It On /マーヴィン・ゲイ


<カラン、カラン>


 ドアの呼び鈴が鳴り客の来店を知らせると、二日連続で彩香が顔をだした。


「もう、頭にきちゃう。ねえ、聞いてよマスター!」


 興奮気味の彩香を落ち着かせるため、先ずは飲み物を聞き、作り終える間に彩香に説いていた。


「まぁ、落ち着きましょうよ。聞いてと言われてもその状態で話したところで伝わらないかもしれませんよ。感情的になって話してしまえば、伝えることは難しく、誤解を招く発言をしてしまうかもしれませんしね。はい、ジンリッキーお待たせ致しました。一度深呼吸して、素敵な音楽とお酒を楽しんで、落ち着いたらお話を聞きますよ」


 彩香は少し落ち着きを見せたが、まだ、興奮状態であることは変わりない。本人に取りよほど憤慨する案件であったのであろう。感じる度合いも人それぞれであり、責められることではない。


 彩香は、昨日話したブログ内での差別発言に対し、自らの考え、方向性を相手に対しコメントを通し伝えていた模様で、こう記されたコメントを受け取っていた。


《やたらと差別という言葉を用いられますが、なにか苦い思い出でもある のでしょうか? 》


「もうレベル低すぎ!なんでこんな人がこの世に存在するかが、私には理解出来ない」


 そして、そのコメントには最終結論が出されていたようだ。


《今後私のブログへのご訪問、コメントはご遠慮下さい。 いかなるコメントも削除させていただきます。》


 己の思想なりを発信した場合、相反する意見があることは、年月をかけ経験すれば想定内とすることができるであろう。発信する者の責任において対処は必要であり当然と考える。


 自分の発言を絶対的な物にしたいのであれば、少なくともコメント欄は削除するべきであろう。自分の思想に相反する意見を受け付けず、共感者のみ対応するのであれば、その本人が最も嫌いなのであろう北朝鮮の思想と何ら変わりはない。責任ある人間の行いとは考えられず、対話をする価値はなくなってしまう。


 責任を伴う自由な発言が理想であり、より良い日本を築き上げるには必要不可欠なことと感じるが、責任を伴わない自分勝手な発言、振る舞いは残念ながら多くの日本人にみられることだ。


 自分の発言に責任を持ち、対処できる相手と対話を持てばいい。個人を責めても意味はなく、日本の社会全体にはびこる悪くしき慣習を変えなければならない。世界中から信用され信頼を得られる国になるには、まだまだ遠い話だ。


 彩香を宥め、日本が国際社会の一員であることを自負するのであれば、日本のあるべき姿、向かうべき方向を話した。そして、相手に対話をする意思がない以上無駄であると話、彼も日本の社会が創り上げた犠牲者の一人なのだと諭した。


 世界中から信用され信頼を得られる国になるには、まだまだ遠い話だ。こう自分自身に言い聞かせるしかない。


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