紀行、小説のノベログです 日々感じていることを盛り込み綴っています

「自転車と列車の旅の追憶」 紀行 完
「大海原」 紀行 完
「家族」 小説 完
“Soul bar-IORI” 短編小説 完

“Soul bar-IORI” お笑い事情


 先日、外国人お笑い芸人が書いた本の紹介で、欧米と日本では笑いに違いがあると言う記事をみつけた。本を買って読んだ訳ではないが、欧米人と日本人の違いを笑いの側面から捉えた、いたって真面目な本のようである。


 BGMではなく、全盛期にもっはら音楽から離れていたドリフターズのバンドネタのVTRを観ていた。いかりや長介氏がエレクトリック・アップライト・ベースを弾く映像がCMで流れ、音楽家としての姿をご覧になった方も多いであろう。それから、ロカビリーを主に演奏していた時代のドリフターズには、坂本九が在籍したことがある。




ドリフのミュージック・ジャンボリー 四季の歌


 カラン、カランと呼び鈴が鳴ると、新規の女性客二人組みがやってきた。バーボン・ソーダを二つ頼まれ、バーボンの指定はなく安いのでと言われアーリー・タイムズで作り提供をした。BGMに切り替えると言うと、観たいのでそのままでよいとも言う。


 会話のイントネーションからお一人は関西の方のようだ。関西の方は何処に行こうが標準語で話すことなどせず、地元の言葉を使う方が多いようで私には好感が持てる。郷土に誇り、愛を持っているのであろう。そして底抜けに明るく、会話も漫才を聞いてるようでとても愉快だ。


 地元の言葉を隠し、無理に標準語で話そうとする方も多いが、郷土に誇り、愛がないのであろうか。本人が捨てたいと感じているなら仕方ないことだが、周りにそうさせてしまう風潮があり、無理をしているのであればとても悲しいことだ。みなと同じである必要などどこにもない。


 日本のお笑い芸人は、どこにでもいる様な人物だったり、日常生活のよくある場面ネタにし笑いをとる。これは、見ている人の間にある程度共通した意識があって成り立つものだ。欧米でもしこの手のネタをやろうと思えば、先ずはその概念から説明しないといけないほど、通じないらしい。欧米では人種や階層が多様で、共通意識を持つということ自体が難しいのだ。


 海外のお笑いに、常識人であり、観客の代弁者である「ツッコミ」はいない。ツッコミがそうした役割を担えるのは、見ている客の常識が一致していることが大前提だ。欧米の国々では生まれ育ったところ宗教観、人種、人生観も人それぞれで価値観が異なり、ツッコミは共感を得られない。下手をしたら反感を買ってしまう危険があり、「ボケのあとはそれぞれ勝手に心の中で受け止めて」ということだ。


 他と同じであることを望み共通の認識を持とうと努める日本人と、個を重視する欧米では笑いの質にも違いを見せるようだ。


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