紀行、小説のノベログです 日々感じていることを盛り込み綴っています

「自転車と列車の旅の追憶」 紀行 完
「大海原」 紀行 完
「家族」 小説 完
“Soul bar-IORI” 短編小説 完

Primo piatto 長年思い続けた地

 いったいなんと言う光景だろうか。ここで見たことは生涯忘れることはないであろう。


 ここは決して観光のついでに立ち寄るところではなく、私が長年思い続けてきたところで、私がこの地に向かった理由はすべてここにある。自分の足で立ち、目で見て感じたかったのだ。


 世界の歴史は戦いの繰り返しで、日本は250年以上続いた戦のない時代を終わらせ、世界の強豪と互角に渡り合えることを目指し近代化に取り組んだ。その結果、世界の強豪と対立を深め、隣国への侵略を初め、アジアの多くの国に広げ支配下に治めたのだ。


 豊臣秀吉が行った朝鮮侵略を詫び、友好関係を築いた徳川幕府の反省は明治維新と共に葬られることになる。他国からの侵略を抑える目的もあったのだが、はたしてそれがどのような結末を迎えるのか、誰にもわかることではなかった。


 日本は多くの過ちを犯し今がある。当時その行為が間違いであるとは気が付かずに行ったように、今現在も多くの過ちを繰り返しているのであろう。多くの犠牲を払ってからでは遅すぎることを、我々日本人が一番理解しているはずだ。


 券売機で入場券を買い館内に入ると、11時2分を指したまま時を止めた柱時計が置かれている。1945年8月9日11時2分だ。



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 奥へ進むとその先には、暗闇に廃墟と化した街が再現され、大きく崩れた天主堂がこの惨禍を物語っている。
 非戦闘員である民間人に多くの死傷者を出し、人道に反する犯罪行為であることに何の異論もないが、なぜこの惨禍が起きてしまったのか、どうして防ぐことができなかったのかが大切なことだと思う。国と国が友好関係を失った極限がここにあるのだ。
 この非人道的な行為に対し、反省、謝罪を求めること、またそれを行わない国に対して非難することに、いったいどれだけの意味があるのだろうか。私にはわからない。
 日本はアジアに進軍し、多くの戦闘と民間人への虐殺を繰り返してきた。どこに違いがあるのだろうか。絶対数なのであろうか。どちらにも正義はないのだと思う。すべては戦争がもたらした結果であり、その行為が悪なのだ。


 同じ大戦の敗戦国ドイツは、敗戦処理に対して日本と大きな違いを見せた。隣国といつまでも小競り合いが続く日本と、どちらが適切な処理を行ったかは明確である。
 未だに日本にはアジア諸国に対して多くの差別が残っている。侵略をし、一時支配下に治めたおごりなのであろうか。日本人の意識に対し、侵略への反省、謝罪は誰も感じてはくれないであろう。


 資料館を出て、200mほど下がったところに中心地碑が立っていた。この上空500mで炸裂し、多くの尊い命を奪い街を廃墟と化したのだ。この地に立てたことは、私にとって感極まることだ。



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