紀行、小説のノベログです 日々感じていることを盛り込み綴っています

「自転車と列車の旅の追憶」 紀行 完
「大海原」 紀行 完
「家族」 小説 完
“Soul bar-IORI” 短編小説 完

「家族」 失態


 敏也の撮影はカフェの順調さとは反対に進捗は思わしくない。単に富士を写すだけなら多くの写真家が素晴らしい作品を残しているが、敏也は似たような作品を残すつもりはない。そして、今回の撮影では、綾香に自分の思う写真を撮るように指示をしており、綾香の目指す被写体をもとめ、山の奥深くまで足をすすめることもある。


「先生、少し遠めに富士山を狙ってみたいな、私。山頂の雪が名残惜しいような感じで」


「そうか、なら、イメージとして稜線はどう切り撮るんだ?」


「そうですね~、ゆるやかで、おだやかな感じ。優しく包み込む富士、かな」


 敏也は地図を広げ、雨乞岳から朝霧高原を挟み望む富士を思い描いていた。中腹にある火口は隠れ穏やかな稜線が広がる。


「ここに登って見てみるかい?」


 敏也は天候をかなり気にしていたが、宿に非常食の手配をし非難小屋の位置を何箇所も確認し二人は山へと入って行った。


 麓に着いた状態では、一日もちそうな気配だ。ただ、山の天候だけは当てにはできない。
 案の定、山頂を目前にした頃から雲が異常に発生し始めた。


「綾香、下りるぞ」


 敏也の声に、綾香は一瞬どきっとしたが、雨の気配は感じられず、


「え~もうすぐ山頂ですよ、お日様も出てますし」


「山は逃げないから、安心しろ。この匂いと、顔に当たる風の感覚を覚えておけ。そして、何事もなく下山が出来たならそのことに感謝し、決して山頂に辿り着けなかったことを悔やむな。目的は登頂ではなく、無事に下山することだ」


 正直、ここまで登った苦労はどうなるのかと綾香は首を傾げたが、指示に従う他はない。匂いも感じることはなかった。


「また登ろう」


 下山を始め宿を目指したが雲の発達が予想を遥かに超え、強い風とともに雨が降りだした。二人は下山を諦め非難小屋に向かうことにした。


 宿では山頂付近の天候と、戻る予定時刻を大幅に過ぎても戻らない二人に、遭難の可能性があると判断した。麓に下りていればつながるはずの電話も通じない。消防と警察、それに宿帳からカフェの知明子の元に連絡を入れていた。知明子から英子に連絡が入れられ、急遽、英子も車を飛ばし、宿に駆けつけていた。捜索隊が組まれ、宿の主人に出された登山届けからルートを確認するが、日も沈み、天候の回復がなければ二次遭難の可能性があり出れる状態ではない。


 英子は、宿で手を合わせ祈る知明子に、


「先生と綾香を信じましょう。今頃安全なところ見つけて二人で美味しい物食べてるわよ」


 執拗とも思える危機管理と山の経験、そして決して無理はしない人と、自身にも言い聞かせるように知明子に話している。宿の主人も非常食を持参していることや非難小屋の場所をいくつも確認して山に入ったと話し、二人を安心させようと懸命だ。


 夜が明け、天候の回復で捜索隊が出発しようと準備をすすめると、すでに下山を開始していた敏也から宿に連絡が入り、二人の無事が確認された。


 宿に戻った二人に怪我もなく、消防隊は病院での診察をすすめたが、受ける必要もない。ただ、綾香は雨に濡れ身体を冷やしてしまったようで、風邪を引いてしまったようだ。警察、消防隊に深々と頭を下げ、自宅に戻り、身体を休めることにした。そして英子は敏也と綾香の体調を心配し、週末の営業をサポートするため日曜日まで滞在することを決めた。
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