「家族」 新たな地 2
伊豆に引越しをした敏也は朝、自転車で10km程走り終え、ダンボールがまだ片付かない店舗でコーヒーを淹れていた。綾香と知明子はまだ部屋から出てくる気配はない。
「すみません、お店やってますか」
サイクリング途中の20代半ばと思われるカップルが、駐輪ラックに掛けられた敏也の自転車を見たのであろう、戸を開け声をかけてきた。
店はオープンしていないがコーヒーでよければと二人を招き入れ、
「お店をオープンさせるにはまだ先かもしれないな。まだ他の仕事に従事していましてね」
二人は東京から伊豆によくサイクリングに来るようで、特にあまり開発されていない西伊豆が気に入ってるのだと話す。
「お店、早くできるといいな。この辺りは私達みたいに輪行してサイクリングに来る人には、三島駅からサイクリングをスタートさせて休憩に丁度いいんですよね」
「実は私も自転車歴は長くてね、いずれサイクリストが気軽に立ち寄ってくれる店ができたらって思って、先にお店建ててしまったんですよ」
女性が立ち上がり、店奥の大きなガラス戸から望む富士を眺め、
「わ、ウッドデッキもあるんですね。綺麗に富士山も見えて、もう最高ですね、ここからの眺め。またコーヒーご馳走になりに遊びに来よっと」
二人はコーヒーと景色を楽しみ、礼を告げサイクリングを再開しに店を後にし、敏也は二人を見送っていた。
「お気をつけて。また、いつでもいらっしゃい」
敏也はこのとき、何の抵抗もなくすんなりと懐に入って来た女性に何かしら感じるものがあった。そして表情の端々に沈んだ目を見せ、明るく振舞ってはいたが心底からくる笑顔ではないような気もしていた。
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