紀行、小説のノベログです 日々感じていることを盛り込み綴っています

「自転車と列車の旅の追憶」 紀行 完
「大海原」 紀行 完
「家族」 小説 完
“Soul bar-IORI” 短編小説 完

Primo piatto 一二三

 
 輪行は山越えだけで終わらず、山へと向かうローカル線の分岐駅まで続け、ここで宿を探すか、ローカル線に乗り込み山の近くに宿を探すかの選択となった。
 ローカル線での輪行も大丈夫で、また最終駅には3軒ほどのビジネスホテルもあるとのことで、そのまま輪行を続けることにした。


 この路線は半島をほぼ一周する路線であったのだが、噴火の火砕流で路線が寸断され、3分の1程度に営業距離が短縮せれ、被害の大きさがうかがい知れるのだ。
 ローカル線の旅はなぜか心はずませるものがあり、古めかした列車でのんびりと車窓を楽しむのだ。この速度が私にはたまらない。
 街中を抜けると海岸線に出て見事な景観を見せてくれ、月の引力の見える海岸との看板を見つけたのだ。潮の満ち干きが激しいのであろうか、とてもユニークなキャッチフレーズである。


 終点の駅に到着し、自転車を組み立てて宿探しだ。街中をうろうろするより海岸線に出て自転車を楽しんでいると、フェリー乗り場があり、その先にビジネスホテル外港を見つけ部屋を確保できた。そして自転車は奥の階段の踊り場にでも置いておいてくださいと、屋内保管ができとてもありがたい。
 チェック時間が遅く夕食は用意できません、と伝えられたが元々ホテル内で食事をするつもりはなく、観光客相手ではなく、地元に根ざしたお店で食事をするのが旅の楽しみでもあるのだ。


 シャワーをして、辺りの散策と食事を求めて海岸線を走るものの、なかなか見つけることが出来ず、一本中の道を走っていると酒処を見つけのれんをくぐった。


 カウンターに腰を降ろすと、奥のお座敷に料理を出していた女将が現れる、これまた綺麗な方で、今回の旅は綺麗な方の率がとても高く、私の日頃の行いの良さをしみじみと感じるのだ。ビールとおすすめの牡蠣を注文すると蒸して提供され、口いっぱいに牡蠣のエキスと潮が広がる。とても美味しく頂くことができたのだ。
 カウンターは電球で照らされ、手作りと思われる和紙で作った傘が取り付けられ、良い雰囲気を出している。素敵ですねと声をかけると、女将はにっこりと微笑んでいた。


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 しばらく女将との会話を楽しみ酒をすすめると、常連さんなのであろう、一人の男がこの二人っきりの楽しい時間の邪魔をしにのれんをくぐった。初めて見るお顔ですねと声をかけられ、三重から来たことを話すと、表にある自転車でと驚くが、決して自転車で来たわけではない。旅やこの地の話で盛り上がり、山が噴火した当時の話も聞けとても有意義な時間を過ごせたのだ。どうせなら綺麗な女将を旅の記念にしたかったが、一緒に写真を撮って頂きました。


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 気さくで優しい力持ちのお兄さんに感謝、感謝である。





Primo piatto 駅長の仕事

 
 どこに向かうか考えながら自転車を走らせると、20年もの昔、噴火で大きな災害を出した山が頭に浮かんだ。報道で見た火砕流は未だに目に焼きついている。


 国道を走った後、きっとこっちに行けばと安易な気持ちで山に入り、道がくねり方角が定まらない。再度国道に出て現在地の確認をしようと店を探すが、こんなときはコンビニすら出てこないのだ。戻るか悩んで自転車を走らせると、一軒の中華料理店が目に入り、立ち寄ることにした。


 大阪王将で、この地で大阪もなと思いもしたが、やり過ごすことはお腹が許してはくれなかったのだ。昨日も食べた覚えのある餃子が私を呼んでいる。


 「いらっしゃいませ」


声がした方を見ると、40手前と思われるなんとも美形な店員さんだ。餃子ではなくきっとこの美女が私を呼んでいたのだ。
 ランチセットを頼み、現在地を確認しようと発した言葉は、多くの言葉を省略し、


 「ここどこですか」


と発していたのだ。丁寧に説明をしてくれたのだが、


 「この人、変かもしれない、、、」


と思われた可能性は非常に高い。余計なおしゃべりは誤解を招く恐れもあり、出されたから揚げ餃子にラーメンライスを楽しむ他はなかったのだ。欲しい情報も聞けずに失敗。


 店を出て、来た道を少し戻り進路を東に向けると、前方には山がそびえ立っている。しばらく走り麓に着いても、これしきの山は問題なく超えられると、唐揚げ餃子は私に力を与えてくれ、今回の旅で初めてのヒルクライムを一気に登り切ったのだ。
 しかし、峠を越える道が見つからず、下ることが出来ないのだ。仕方なく登った道を下り道を探すも見つからず、JR駅に立ち寄った。
 周辺地図を確認するも峠道の記載はなく、再度あの山を登るにはもう一人前の唐揚げ餃子が必要であり、自転車を袋詰めにした。


 改札は二階にあり、路線図を確認しながら見ていると、窓口にはマスクをしているが、20代半ばと思われる美形女性駅員が座っている。
 私はいま正にこの山を超えるには、どこまでの乗車券が必要なのか、また時間も押しており、どこまで行けば宿があるのかも悩んでいる。大きな態度を取るつもりはないが、客であり困っている客の手助けをするのは彼女にとっては職務であるはずだ。声をかけない理由はどこにもない。仮に座っていた駅員が男性でも、私はたぶん、いやきっと、いや絶対に同じ行動をしていたと思う。


 素敵な駅員さんは、自転車旅に興味を示したのか、外に出てきて詳しく説明をしてくれ、目指す山の所在地などの情報も得ることもできた。必要な要件は数分で終わってしまったが、自転車を覗き込んだり多くの質問を私にしてくるのだ。列車が来るまでの約40分ほどの時間を私の話し相手になってくれたのである。
 そしてカメラを渡し写真をお願いすると、ではご一緒に、となんとシャッター係りに駅長を呼んできたのである。そして最後に旅に使って下さいとタオルまで頂いたのだ。撮影のときにもマスクを外さなかった、明るく気さくな謎の女性駅員さんに感謝である。


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Primo piatto 長年思い続けた地

 いったいなんと言う光景だろうか。ここで見たことは生涯忘れることはないであろう。


 ここは決して観光のついでに立ち寄るところではなく、私が長年思い続けてきたところで、私がこの地に向かった理由はすべてここにある。自分の足で立ち、目で見て感じたかったのだ。


 世界の歴史は戦いの繰り返しで、日本は250年以上続いた戦のない時代を終わらせ、世界の強豪と互角に渡り合えることを目指し近代化に取り組んだ。その結果、世界の強豪と対立を深め、隣国への侵略を初め、アジアの多くの国に広げ支配下に治めたのだ。


 豊臣秀吉が行った朝鮮侵略を詫び、友好関係を築いた徳川幕府の反省は明治維新と共に葬られることになる。他国からの侵略を抑える目的もあったのだが、はたしてそれがどのような結末を迎えるのか、誰にもわかることではなかった。


 日本は多くの過ちを犯し今がある。当時その行為が間違いであるとは気が付かずに行ったように、今現在も多くの過ちを繰り返しているのであろう。多くの犠牲を払ってからでは遅すぎることを、我々日本人が一番理解しているはずだ。


 券売機で入場券を買い館内に入ると、11時2分を指したまま時を止めた柱時計が置かれている。1945年8月9日11時2分だ。



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 奥へ進むとその先には、暗闇に廃墟と化した街が再現され、大きく崩れた天主堂がこの惨禍を物語っている。
 非戦闘員である民間人に多くの死傷者を出し、人道に反する犯罪行為であることに何の異論もないが、なぜこの惨禍が起きてしまったのか、どうして防ぐことができなかったのかが大切なことだと思う。国と国が友好関係を失った極限がここにあるのだ。
 この非人道的な行為に対し、反省、謝罪を求めること、またそれを行わない国に対して非難することに、いったいどれだけの意味があるのだろうか。私にはわからない。
 日本はアジアに進軍し、多くの戦闘と民間人への虐殺を繰り返してきた。どこに違いがあるのだろうか。絶対数なのであろうか。どちらにも正義はないのだと思う。すべては戦争がもたらした結果であり、その行為が悪なのだ。


 同じ大戦の敗戦国ドイツは、敗戦処理に対して日本と大きな違いを見せた。隣国といつまでも小競り合いが続く日本と、どちらが適切な処理を行ったかは明確である。
 未だに日本にはアジア諸国に対して多くの差別が残っている。侵略をし、一時支配下に治めたおごりなのであろうか。日本人の意識に対し、侵略への反省、謝罪は誰も感じてはくれないであろう。


 資料館を出て、200mほど下がったところに中心地碑が立っていた。この上空500mで炸裂し、多くの尊い命を奪い街を廃墟と化したのだ。この地に立てたことは、私にとって感極まることだ。