紀行、小説のノベログです 日々感じていることを盛り込み綴っています

「自転車と列車の旅の追憶」 紀行 完
「大海原」 紀行 完
「家族」 小説 完
“Soul bar-IORI” 短編小説 完

“Soul bar-IORI” 加点と減点2

 マニュアル通りのことが完成形とすれば、それは減点評価の基準値でしかない。マニュアルで教え込まれて来た人間にとって、基準値までは辿り着くことが出来てもその先に進むことは難しい。また、マニュアルに書かれていない事案に対しては何も対処ができず、起こり得ることすらも想定外だ。型にはまった人間しか育つことはない。



「本来、マニュアルなんて必要のないものなんですけど、雇う側も経験のない者に時間をかけて指導できませんからどうしてもね。ただ、それに頼ってしまえばそれ以上の人材は育ちませんし、現状、雇う側も求めていないのでしょうね」


「私、毎朝マックに行ってコーヒー頼んでるんですけど、『お砂糖とミルクはいかが致しますか?』って毎日同じ子に同じ事聞かれるんですよ、馬鹿かあんたはって思っちゃいますよ」


「こう言いなさいって教えられれば、それしか言わないんですよ。そう言っていれば間違いないですからね。BGM換えますね」



翼をください 赤い鳥


「この曲好きなんですよ。人は多くの物を手に入れて、飛行機で空も飛べるようになりました。でもそれらは自分の身体の一部ではないんですよね。翼が欲しいって何も無い物ねだりの欲ではなく、もっと大切なものを得ないといけないんだって考えさせられるんですよ。知識だったり、自分の身に成るもの、あと、空から見ることは無理なんですけど、視線を変えることも大切かなって。もちろん私の勝手な解釈ですけどね」



 物真似をしてきたことで日本は人物も含め減点評価する習慣がある。言葉は悪いが粗探しだ。される側はそれを避けるために安全策を身に付ける。新しい事に挑戦しない事が評価を落とさないためには得策となってしまう。この減点評価に成果評価が加わわれば、もう誰も枠を飛び越えようなどとは思わない。日本の創り上げてきたしくみ、教育が壁となり人材が育つ環境ではない。



 先進国の中で日本は自殺者の数が跳び抜けて多い。こんなところにも何かしらの因果関係があるのかもしれない。もう今の日本は他国を真似する必要もなく、独自の創造性が必要だ。粗探しの評価ではなく良い点を見つけ加点で物事を判断していくのが大切なのではないかと思う。新たなことにチャレンジをする環境も、減点から加点に切り替える努力をすれば自ずと出来上がっていくのではないだろうか。

“Soul bar-IORI” 加点と減点1 

 物、人を評価するには概ね二通りがある。すでに完成形として形があったり、理想とする物(者)を100とし、劣る点を見つける減点評価。そして0からスタートをし、優れた点をみつける加点評価。戦後の日本はアメリカを目標にし、様々な製品をコピーして経済成長を成し遂げた。理想とする国、製品の完成形が存在し減点することで物事(人物)の善し悪しを評価してきたのではないかと思う。結果、どちらにしても同じ点数が付くのなら同じ事か、、、


 BGMは困難に行く手を妨げられた男の心情を歌ったもの。昔、この曲をカバーしたとき、レゲエのリズムなど日本人は残念ながら根底に持ち合わせておらず、単にバラードになってしまった曲。



Jimmy Cliff- Many Rivers To Cross
 
カラン、カランと呼び鈴が鳴り客の来店を知らせると優子が顔をだし、女性の新規客を伴っていた。優子はハーパーのロック、そしてもう一人の女性はブラディメアリーが飲みたいと言う。



 私は葉付きのセロリとレモンスライスを用意し、氷を落としたタンブラーにウォッカを45mℓ入れ、トマトジュースで満たしステアーした。セロリのスティックをグラスに落とし、レモンスライスをグラスの淵に飾った。



 二人はピアニストとウエイトレスの違いこそあれ職場の同僚で、新規女性は入店からまだ間もないのだが、サービス業の経験はあるようだ。マニュアル以外を認めようとしない指導係の先輩に苛立ち、ときに口論をすることもあり関係があまり良好ではない。愚痴をこぼせる相手は職種の異なる優子が好都合なのかもしれないが、接客の経験のない優子は返答に困る様子も見せている。



「ねえ、マスター、マニュアルってさ、お店の決め事だったりするわけだから必要なものなんですよね」



「そうですね、複数の人間が交代でする仕事とかで、安定したサービスを提供するには必要かもしれませんね」



「でしょ~、だから由紀ちゃんも我慢しないと。マニュアルを教え込んでスタッフがその通りに動いてくれることが彼女の仕事なんだから、そこもわかってあげないとさ」



「でも、何でも雁字搦めで嫌だなぁ~、彼女よりお客様を笑顔にする自信はあるわ」



「確かにね、私も見てて、私が客だったら由紀ちゃんの接客を受けたいと思うものね」



 マニュアルには事細かに社内規定を盛り込んだ物もあり、これは集団生活の中で守るべき必要があるであろう。しかし、実務的な取り決め、マニュアルとはどんな目的があるのだろうか。一定のクオリティを維持させるため存在はしているのだろうが、マニュアルが必要な人、これは仕事が出来ない人にとってとても重宝するものでもある。教えられる側は経験がなくもちろんのこと、教える側にしても、教える能力を持たずとも教えることが出来るもの、それがマニュアルであるのかもしれない。


                                      続く

“Soul bar-IORI” 台湾ラーメン

 台湾とは国なのか?それとも中国の離島なのか?正直、私にはわからない。本人達がわかっていないのだから、私にわかるわけがない。この小さな島は過去にいくつもの国の支配を受けた歴史がある。アジア全土を支配下に置くことを目標にした日本も統治下に置いたことがある。台湾の中国支配が始まり日本との国交は途絶えたが、多くの台湾の方が日本で生活を営んでいた。


 名古屋には繁華街と呼ばれるところがいくつかあり、名古屋駅前、栄町、そして今池が主たるところ。私達世代の名古屋人にとってかつては、おじさんの街名古屋駅前、若者の街栄、そしてちょっと危ない街が今池だった。この今池には私も出演していたライブ・ハウスがあり、馴染み深い街。そして怪しげな街中に美味しい台湾料理のお店「味仙」(みせん)がある。


 BGMは大好きなCrusadersの前身、Jazz Crusaders時代のアルバムから。欲しいのは曲ではなく、アルバムタイトルのChile Con Soulとジャケット写真。私の引き出しもそろそろ限界か、、、やべっ。



 カラン、カランと呼び鈴が鳴り客の来店を知らせると彩香が顔をだし、ジンのロックを頼んだ。


「明日香が名古屋めし探検ツアーに一緒に行かないかだって。マスターの舌だけは信じれるから、教えてもらったあんスパのお店に行くんだって張り切ってますよ。で、夜も何かお店を探してるみたい」


「・・・・・」


「何か他にもお店教えてくださいよ」


「では、麺尽くしで台湾らーめんはいかがですか?」


「え?台湾らーめんなんてどこにでもあって、四日市だって食べれるじゃないですか。美味しいなんて思ったことありませんし」


「美味しい、不味いは好みですけど、本物を食べてから判断してもよろしいのではないでしょうかね」


「本物って言ったら台湾まで行かないとダメじゃないですか、も~う」


 台湾に行っても食べられない「台湾らーめん」が名古屋発祥のらーめん。今はこのらーめんは台湾にも上陸し、「名古屋拉麺」と呼ばれている不思議ならーめん。日本では名古屋を中心に東海3県(愛知、岐阜、三重)の多くのらーめん店のメニューに載り認知される。しかし、台湾らーめんをメニューに載せる店の多くは、独自性もなく、安易ならーめんを提供する店がほとんどだ。


 味仙の台湾らーめんはさすがだ。具に使われる肉味噌に於いても丁寧な味が施され、しびれるような辛さのなかにも奥行きがある。ただ、強烈な辛さは翌日に痛みを伴う。どこが痛いかは、ご想像にお任せ。


 ライブを終え、青菜炒めと手羽先の煮込みでビール、そして最後に台湾らーめんで〆るのが私の楽しみであった。翌朝の辛さがまた昨夜の美味を思い出させてくれ、二日間に亘り堪能できる。


   

(写真はすべて頂き物です。台湾らーめん、手羽先の煮込み、青菜炒め)


 他店が真似をすることにより名古屋めしとして認知もされるのであろうが、あまりにもお粗末な店が多いのも事実。食べることへの感謝も薄れ、安易に飲食店を志す者が多過ぎだ。


 名古屋めしと呼ばれる物の数の多さ、味、見た目のくどさもあって次第に嫌気がさしてきた。数が多ければ当てはまる数も増えるが、それは価値があることなのかと疑問に思う。物があふれる今の世の中も、同じ気がする。人は多くの大切な物を失い、多くの物を手に入れていくのだろう。まだまだ、名古屋めしと呼ばれるものがあるが、もう、限界。さらに新たな名古屋めしとして「カレー煮込みうどん」が登場していると言う。さすがに、もういいでしょ!となってしまう。名古屋めしを紹介しようと書き始めたが、名古屋が嫌いになりそうで、、、このシリーズはこれにて打ち切り。