紀行、小説のノベログです 日々感じていることを盛り込み綴っています

「自転車と列車の旅の追憶」 紀行 完
「大海原」 紀行 完
「家族」 小説 完
“Soul bar-IORI” 短編小説 完

大海原 Primo piatto 日本人の心

 
 山間を抜け、列車の車窓からは海が広がる。とてつもなく大きな海。海岸線は自然のままで、複雑な形を成している。何千年もの時間をかけてゆっくりと形創られるのであろう。


 遠く水平線を眺めると、ほんのわずかに曲線を描いている。知識として地球が丸いことを知っているが、普段感じることはない。


 自然が創る美しい景観を眺めながら飲む酒は、良いものだ。


 人が造り上げるものは、直線であったり、平坦であったり、起伏のないものが多い。それを好むか、好まないかは人それぞれであろうが、私は、出るところは出て、引っ込むところは引っ込んだ容が好きだな。


 美しい女性を前に飲む酒は、旨い、たぶん。


 海岸線に目を奪われていると、反対の車窓からはなだらかに裾野を広げる富士が目に入る。美しい山容はいつ見ても心を和ませてくれる。遠目に眺めて美しい山だ。


 五合目までは開発され多くの観光客で賑わい、登山期には山頂を目指す人も多い。ここ数年は異常とも思える人の数だ。人が入れば、荒れ、汚れていく。自然と触れ合い、山を楽しむことは素晴らしいことだとは思うが、ブームに流され富士登山をする方や、人任せで自己責任が取れない方が多いのが現状だ。以前富士登山をしたときも、心無い方を多く見かけた。


 海外の主要の山はおいそれと簡単に入ることは出来ない。高額な入山料を徴収されたり、環境保全のための講習を受けなければ入山できないことが多い。国立公園内ともあれば、自身の排泄物は持ち帰りが義務付けられる山もある。


 富士山の世界遺産認定がスムーズに行かなかった原因はゴミである。
 山容だけではなく、世界に誇れる富士山であって欲しい。


 ブームとは恐ろしい。右に習えが大好きな日本人は、本質を見極めることなく、自己の意思も曖昧なまま乗っかってしまう。多数派に属していれば安心だからであろう。


 一時「マイ箸」を持ち歩き、割り箸の利用が大多数であった飲食店で使う方を多く見かけた。使い捨てであると同時に、森林を伐採した材木が原料だからであろう。確かにマイ箸を使うことによって、己の出すゴミの減量は適う。とても素晴らしいことだ。ただ問題は、無駄な材木を使わずに済み、森林を保護しているとまで勘違いしてしまったことだ。


 森林を保護するには、切らなければならない木が出てくる。この間伐材のそれも端材を使って造る割り箸は、森林破壊に繋がることはなく、むしろ材料が無駄なく使われる一端を担っていたのも事実である。
 このブームで、多くの飲食店から割り箸が消え、飲食店の利益を上げることには役に立った。マイ箸を持ち、割り箸の不要性を訴えてくれた方は、飲食店にとっては神様に見えたであろう。


 同じように、スーパーのレジ袋有料も環境問題の本質が見ないからこそ、なんの抵抗もなく受け入れられ、一般化している。今まで無料であったレジ袋が商品となって利益を生む。スーパーにとっては経費削減もでき、神様だ。マイバック製造、販売業者にも間違いなく神様である。あと、自治体指定のゴミ袋業者にも、代用されていたレジ袋が消えて助かったであろう。


 レジ袋は、製油過程でしかたなく出る廃油を原料にして造られる。採掘した資源を無駄なく使うことは、私には悪いこととは思えない。


 環境問題をリンクさせお金を儲ける業者や、バックアップする政治家が悪いと思うけど、私。
 越後屋と悪代官だ、きっと。当時の環境代官、いや大臣は小池さん。越後屋はイケ面のお兄ちゃんに、ふんどしさせて待機させたのであろか。見たくない。

×

非ログインユーザーとして返信する