紀行、小説のノベログです 日々感じていることを盛り込み綴っています

「自転車と列車の旅の追憶」 紀行 完
「大海原」 紀行 完
「家族」 小説 完
“Soul bar-IORI” 短編小説 完

Second piatto 道の駅


 橋を渡ると県を越える。海道の中でこの島がもっとも観光地化が進んだ島であるかもしれない。その最もは道の駅であろう。橋から一般道に出るとその姿を現し、多くの飲食店が軒を連ね、岸壁は綺麗に整備され、旅行く人達の憩いの場となっている。


https://public.muragon.com/bhv30qla/n03c6fef/resize/184x184.jpg?dummy=1505742275358


 道の駅は一般道に於いて24時間利用できる公共の施設であり、民間経営である飲食、売店を併設したドライブ・インに比べ遥かに利便性が高い。
 日本の道路は、こと車の走行に適した整備だけが施され、ドライバーを思いやる優しさなど感じるものではないが、道の駅は地域振興も兼ね備え、大きく評価されるべきものだと感じる。


 またこの施設には、サイクリストの聖地なる石碑が立っている。意味することはなんとなく理解出切るが、あまりにも聖地が多すぎやしないかと思うのだ。


「自転車乗り教の発祥の地」


もしくは中心地の意味だ。


 日本人は宗教に重きを置かない。幼少の頃は七五三を神社で祝い、盆には先祖を供養しに寺に行き、キリストの誕生日前夜は意味すら考えずに祝っている。


 私も無信仰であり、神も仏も信じてはいないが、宗教を重んじる国にもう少し配慮した名前を付けても良いのではないだろうか。聖地はあちこちにあるものでは決してないのだ。
 以前は同じような意味合いで使われいたメッカを、ほとんど見かけなくなったことは喜ばしいことだが、あまりにも聖地が使われすぎている感がしてしまうのは私だけであろうか。と言いつつも自転車を立てかけ写真に収めてしまった私だ。


 言葉は多く進化して行くものである。いい加減とか適当など、本来は良い意味で使われていた言葉だが、今はま逆に使われてしまう。
 また最近は、飲食店などで料理が提供される際に、


「~~になります」


とよく耳にするが、成りますと言う言葉は、


「私は警察官に成ります」


などが本来の使われ方であり、飲食店に於いてなりますを使って良いのは、お好み焼き屋さんぐらいであろう。焼きあがったお好み焼きを提供する店では、もちろん不適切。

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