紀行、小説のノベログです 日々感じていることを盛り込み綴っています

「自転車と列車の旅の追憶」 紀行 完
「大海原」 紀行 完
「家族」 小説 完
“Soul bar-IORI” 短編小説 完

Aperitivo 自転車と列車の旅 追憶記


 どこか遠くへ行きたいな。毎日が同じことの繰り返しで、きっとこんなことを感じたのだろう。見知らぬ土地は多くの刺激と感動を与えてくれる。


 元々出歩くことは好きで、国内の経験しかないが多くの旅行はしてきた。行き先を決め宿の手配をし、緻密までとはいかないものの大まかなことは決めて行動をする。旅行の手段も自家用車がほとんどで、日程も一泊二日が最も多い。


 私は生活の道具としても趣味としても自転車を活用している。元々自転車は、車の調子が悪く、急場しのぎで買ったもので、駅まで利用したのだ。
 自転車に乗るのは楽しく、今まで気が付かなかったことも新たに発見できたりする。景観を楽しみながら走れる速度が丁度良い加減なのであろう。それに朝、夕の渋滞でイライラすることもないのだ。

 子供の頃は、冒険の相棒はいつも自転車だった。自分のテリトリーがどんどん増えていき、とても楽しかったことが蘇ってくる。大人に成れば、車との出会いが自転車を過去の移動手段、子供の遊び道具に追いやってしまうが、これもまた仕方のないことであろう。車に勝るものなど考えられなかった。

 再度自転車を購入したのも仕方なくが理由で、自分がここまで自転車にのめり込むなど想像出来なかった。しかし当時使っていた自転車には多くの不都合があり、その要因は自転車そのものが持つ致命的なことで、解消するには買い換えるしか方法がない。

 パンク修理で自転車店を訪れた際、多くのスポーツ車を見て興味が沸き、雑誌やインターネットで多くのことを調べ始めたのだ。 極端に細いタイヤ、異様な形をしたハンドル、泥よけもなければスタンドすらない仕様に多くの不安はあったが、ロードタイプを購入した。
 速度は今までの自転車に比べ軽く倍は出て、長い時間、距離も楽にこなせ、上ることの出来なかった坂も余裕で越えられるのだ。これが本来の自転車の懐の深さで、多くの自転車はその一部しか持ち合わせていないのであろう。


 はっきりと言葉に表すことが難しいのだが、旅と旅行には違った感覚があると思う。辞書を引いても同じ意味で、使い方に違いもないようだが、私には違った感覚があるのだ。
 旅は決められた行程を行くのではなく、思うがままに進路を取り自由自在にするもので、旅行は決められた行程を予定通りに行うことのように感じるのだ。もちろん私の個人的な感覚であり、正しい解釈ではないのかもしれない。

 当てのない旅、目的のない旅、この言葉をよく見聞きするが、存在するのであろうか。人はあて、目的がなければ行動せず、家を一歩踏み出して、方向を決めたときにはすでに存在しているはずだ。
 目的を決めてもそこに辿り着く必要はなく、途中で目的地を変更することもある。寄り道だけで旅が終わってしまっても良いと思う。そもそも目的がなければ寄り道にはならない。
 旅には確かな形もなく、様々な出会いがあり、その過程に楽しさがあると思う。もちろん目的地達成を最優先させることも何も問題ではないと思う。 

 足腰元気に飛びまわれる年数は、あとどれぐらいあるのだろうか。誰にもわかりはしないことだが、それほど回数を重ねることは難しいと思う。


 私にはかねてからどうしても訪れたい場所がある。その地に立ち、自分の目で見て感じたいと思い続けてきたのだ。映像や書物、人から聞く話ではなく自分自身でだ。この地を訪れる前に、身体が動かなくなってしまえば悔いを残す。今回がその機会で、この地に立ち長年思い続けてきたことに結果をだしたい。


 旅をして知り得、感じたことはどんな立派な書物から得た知識よりも価値がある。自分の解釈でよい。期待が満足に変わらなくても良い。自分自身で感じたことなら、それで良いのだ。

 旅を決めた。自転車を活用した旅に出よう。自転車で日本一周とかよく聞くが、行きたいのは旅であり、自転車で、ではない。市街地の移動に自転車を使い、都市間の移動は列車に分がある。自転車と列車の併用がより遠くへより多くの体験を可能にしてくれるのだ。

 自宅を出て、目指すべき方向を定め、過程を楽しみ、目的地に立つ。そして最終の目的地が自宅となる、そんな旅に出てみた。時間とお金が許してくれた間。

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