紀行、小説のノベログです 日々感じていることを盛り込み綴っています

「自転車と列車の旅の追憶」 紀行 完
「大海原」 紀行 完
「家族」 小説 完
“Soul bar-IORI” 短編小説 完

“Soul bar-IORI” Christmas eve

 
 今夜はイエス・キリストの「降誕」を祝う日であり、欧米では大切な家族と過ごす有意義な一日だ。聖書にキリストの誕生日の記述はないが、10月1日か2日が誕生の日と推測され、誕生日ではなく降誕の日である。そして、ユダヤ民族の社会習慣では「一日」を「夕方から夕方まで」としており、キリスト降誕の日は本日夕刻から明日の夕刻までであり、前夜祭としての意味は持たない。


 今夜は一日ゴスペルと共に過ごそう。“Aretha Franklin”が歌ったゴスペルを選びターンテーブルに乗せ針を落とした。



Aretha Franklin: Oh Happy Day
 カラン、カランと呼び鈴が鳴り客の来店を知らせた。ジン好きな彼女が「メリークリスマス」と声を掛け姿を現し、いつものようにジンをロックで頼んだ。


「しかし、イブだと言うのにまったく雰囲気ありませんね~、中華屋さんでもツリーぐらいは飾ってますよ。まぁ、マスターらしいですけど」


「お待たせ致しました。でもゴスペルはかけてますので」


「いっただっきま~す。ねえ、マスター、クリスマスってさ、何でXなの?」


「何でもギリシャ語でキリストをクリストスと言うらしくて頭文字がXだそうですよ。私もスペルーは知りませんけどね。また、キリスト教文化圏の基本的な記号クロス、十字架で、“X”自体がキリストを表わす記号らしいですよ。正しい表記は“Xmas”で“X'mas”と書かれたものを見かけると思うんですけど、アポストロフィ“’”は省略記号ですので正しい表記ではないですね。残念ながら世界広しと言えども日本だけ、もしくは、日本人が多く住み日本企業が出店してる国だけですね。“mas”はミサで広義に礼拝です」


「わ~、めっちゃ恥ずかしいですね。文化を理解せずに、上っ面だけ真似するからそうなるんでしょうね」


「日本人にとって、世界は日本を中心に回ってますから。欧米から見たらただの金持ちの馬鹿かもしれませんけどね」


「ねえ、マスターにとってクリスマスとは何ですか?」


「そうですね、私は無信仰なのですが、差別に屈せず世界平和を唱えたアフリカ系アメリカ人の音楽家を崇拝してます。その方達にとって大切な日は、私にとっても大切な日ですし、それに、普段の生活で感謝する気持ちが薄れたりしてしまうんですけど、何か、こう引き戻してくれると言うか、再確認させてくれる日でもありますね」


「日本はもう完全にイヴェントですね、何も理解もしていないのに」


「日本人らしくていいんじゃないですか。島国であり、他国からの非難など関係なく好き勝手解釈して、他国の大切な文化を土足で踏みにじるのが日本人ですから」


「キリスト教を理解しないから『恋人と過ごす日』なんて平気で言えるんですね。商業主義に流されて、決まりごとのようにケンタッキーに予約を入れたり、チキンを食べて」


「そもそも七面鳥の代用に思われてるかもしれませんが、クリスマスに七面鳥を食べる習慣はアメリカにはないんですね。七面鳥を頂くのはキリスト教の『感謝祭』です。欧米でクリスマスは家族で過ごし、イギリスで家庭料理として振舞われることはあるんですけど、出来合いのチキンを買ってくるなんて日本以外聞いたことがないですね」


「それも個性なんですかね」


「う~ん、私は真似するとか流されることは感心しなくて、己を個性を出すべきだって思うんですけど、これは個性ではありませんよね。『自由』な発想での解釈は大切ですが、他国の大切な文化を『勝手』に解釈しては良くないと思いますよ。少なくとも先進国であり国際社会の一員だと言うのであればなお更ですね。鎖国ならなんでもいいんですよ、自国で好き勝手やっている分にはね」


「キリスト教を重んじる方達はどう見てるんでしょうかね」


「日本にそれほど感心があるとは思えませんけど、実情をしれば悲しむだろうし、日本人だから仕方ないって思われるのがオチでしょうかね」


「日本は天狗になって世界を見下して来たかも知れませんね」


 イタリアのベネルディ誌は2010年12月24日、「クリスマスの東京 愛を祝う」と題し、「人口の僅かしかキリスト教徒が居ないのに、多くの人がプレゼントを交換しあうほか、男女の愛の祭りとなっている」と評し、多くの日本人は、宗教行事としてイベントを行ってはいないと記事にした。


 第265代教皇・ベネディクト16世は、12月8日の無原罪の聖マリアの祭日からクリスマスの間の聖なる降誕祭を準備する期間についてこう述べた。


「現代の消費社会の中で、この時期が商業主義にいわば汚染されているのは、残念なこと。このような商業主義による汚染は、降誕祭の本来の精神を変質させてしまう恐れがある。降誕祭の精神は、精神の集中と落ち着きと喜びであり、この喜びとは、内面的なもので、外面的なものではない」


「クリスマスが日本人にとって忘れかけた何か大切な物、例えば家族の絆であったり、感謝する心であったり、そんなことを思い起こさせてくれる日になってくれるといいですね」

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